序章

 黄色がかった、雲? 煙?
 その中で体がふわふわしてる。
 友達や知らない大人たちの声。
 何を叫んでいるの?
 体が流されていく。
 周りを見たら、学校の廊下だった。
 変な夢――

「両被験者捕獲!」
「撤収準備急げ!」

 階段を下りていく。
 眠い――まぶたを閉じる。
 眠りと覚醒の狭間をたゆたう。
 このまま深い眠りへ――
《作られた眠り 落ちる 流れる 偽りの夢》
 そんな歌声が聞こえた。
 誰が詠っているの?
《Hell or heaven.表と裏のコインのようにように。指で弾いてどっちを取る? 表も裏も depend on you.》
 男の人みたいだけど、詩の早鐘のようなテンポもヴォーカルの囁くような早口も何かを急かしているようだ。
 黄色い雲海に浮かべられた意識は、詩の囁くままに流れていく。
 なんとなく舞菜はその詩を聴いていた。
《手探りさえできない 定まらない意識 けれども『翼』は 君の翼は――》
 自分に訴えかけている。
 そんな気がした。
『翼』か……どんなのだろ。
 綺麗で、どこへでも飛べる翼なら良いよね――
《弾かれたコイン 籠の中か空の下 手から逃れろ! 翼を広げろ! 飛び立て! 巣立ちの時は――》
 詩の流れが変わる。
 女性ヴォーカルのパートに入る、と舞菜はなぜか直感していた。
 どんな詩なのか分からない。
 けれども自分の番が回ってきたように、薄れていく意識の中で舞菜は、詠ったような、気が、した。

「捕獲班状況知らせ! 捕獲班状況知らせ!」
「被験者A、能力に覚醒。異能に被験者Aをロスト! 関係各位に捜索要請!! 繰り返す、被験者Aをロスト関係各位に捜索要請!!」

一章 夜に狩る黒い翼

 1

「あいつなら来てないよ」 
 椋木舞菜(むくのき まいな)がライヴハウスの入り口をうろついていたら二十代半ばのマスターにそう声をかけられた。
 まるでインディーズバンドの追っかけのような言われ方だがそんな情景に見られるのも無理はない。
 舞菜のいでたちは黒いスラックスにワイシャツ、黒い金属のリングがあしらわれたネクタイ、栗皮色のベスト、そして中性的なショートカットの髪。『いかにも』な格好だ。
 しかし舞菜は追っかけなんかではない。ビジュアル系は中学校と同時に卒業したクチだ。強いて言うなら今は男性アイドル方面に音楽の趣味は向いている。
 舞菜はとある仕事の都合上こんな服を着ているのだ。
 そして仕事でここ一週間ほどこのライヴハウスの二階にある空き部屋にマスターの好意で厄介になっている。
 マスターは高卒後大型トラックの運転手で荒稼ぎをして、かねてからの夢だったライヴハウスを建てたそうだが、どうにも部屋が余ってしまったらしく副業でウイークリーマンションもどきもやっている。
 だが、夜中やかましいライヴハウスの建物では商売になるはずもない。
 舞菜は、そんな多少条件が悪くても人が知らないような穴場的な宿が入用な、ちょっとワケ有りな境遇と仕事を持っている。
 ……自分で望んだ境遇でも仕事でもないのだが。
「あいつと舞菜ちゃん、最近ウワサだよ〜?」
 仕事の相方を探す舞菜に向けられたマスターの声は妙に悪戯めいていた。
 年下の女の子をからかう『元不良って事はナイショ』にしているおにいさんの声だ。
「はい?」
 その話が出回っているのは知っているけれど、笑顔ではぐらかす。
 伏せていたほうが何かと都合のいいウワサなのだ。
 しかし断じてやましい内容ではない。
 非現実的であり、危険なことだからだ。
 マスターは分かっているのかいないのか、曖昧な「うんうん」を繰り返しながらポケットからタバコとライターを出した。
「人間にも感染する新種のコンピュータウイルスを退治する『翼使い』なんだろ? ここ使ってるバンドの一つがそれ題材にした歌でも考えようかなんて言ってたぞ」
 ライヴハウスの人脈、あなどりがたし。
 それが舞菜の心の中での反応だった。
 マスターの言葉は至極大雑把だがその分ハズレもなく舞菜と彼女のパートナーの仕事内容を捉えていた。
「あいつって、最近連れになった『翼使い』らしいじゃん。もうすでにカレシ?」
 ステージから聞こえる機嫌の良いストリングプレイと同じような調子でマスターはくわえタバコでからかった。
 笑みでピンと立ったタバコになんだか愛嬌があり、嫌味はない。
「カレシぃ?」
 舞菜がいかがわしげに訊き返したのはそうしたい気分が半分、このマスターがどこまで知っているのかカマをかけてみる意味が半分だ。
 ボロ雑巾みたいに路地裏に伏していた『あいつ』を見つけてから一週間。
 先輩『翼使い』だったこともあって仕事時間の夜は一緒に行動している。
 けれどもつかみ所の無い性格の『あいつ』は街をふらついていて、どこの宿にいるのかも知らないからなかなか見つからない。
 謎の人物――というのならば私もそう。
 自分でも自分についてわからないことが結構ある。
 だけどあいつの動向はちょっと気になっていた。
「明け方サイレンがするから外を見たら、全速力のパトカーを駆け足でぶっちぎって行ったよ」
 マスターの口ぶりははまるで心霊現象の目撃者の証言だ。
 あいつ、なんでパトカーなんかとロードワークしていたのかしら。スピード違反? ……ってそれは無いか。路側帯違反のほうが現実的ね。
 思いながらも舞菜はこの話をその場限りの雑談として処分することにした。
「……寝ボケてたんじゃないデス?」
「かもしれないな……」
 非現実的な事件は簡単にもみ消せてしまう。
 ああ、私って悪い子……こうやって不正取引をもみ消す悪徳企業で仕事をする下地を作っていくのね……とは思わない。
 嘘も方便でありそれが彼女の処世術だ。
『翼使い』は『人間』と『そうでない者』の狭間にいる。
 先ほどから何度も出ている言葉、『翼使い』とは、平たく言えば魔法使いや超能力者のようなものだ。
 中世の魔女狩りのように翼使いを狩る組織もあるし、そこから逃れるために舞菜はこんな穴場の宿を取っている。
 異端とされて殺されるのはご免だ。
 もっとも魔女狩りは政治的意味合いのほうが強かったらしいけれど詳しくは知らな――
「みつけたです」
 そんなことを考えながら雑踏を見渡していると、舞菜は彼女のパートナーではなく一匹の猫を見つけた。
 一匹の丸々と太った、見るからに無愛想な猫が雑踏の裏手へひょこひょこと歩いている。
『今限定で』舞菜の仕事相手はあの猫だ。
 別に彼女の仕事が猫探しというわけではないのだが、今は似たようなものだ。あの猫を捕まえなければならない。
 猫。
 気まぐれなところが愛好家にはたまらないポイントの小動物だが、仕事相手にするのはなかなか厄介だ。
 特に野良猫は警戒心が強く、人間よりもちょこまかと速く動き、狭い場所も入り込めるといった特技がある。こちらも相応の『特技』で相手せねばなるまい。
 それが『翼』。超能力や魔法のようなものだ。
 猫を追ううちに人だかりを抜け、静まり返った路地裏へ入っていった。
 電柱の手前で猫が立ち止まる。舞菜に気付いたのだ。
 気取られないように気配を消してにじり寄っていたのだが、人間の数十倍の聴覚を持つ猫にそれをやっても無駄だった。
 タタッ!
 ネコ科特有のしなやかな動きで二つの、夜間は休業中の店舗を隔てる人の背丈ほどのブロック塀に登って、そこから奥へと逃げていく。
『とにかく近づかなくちゃ』
 思うや否や舞菜はその場から一歩踏み込み、一歩の助走から両手を振り下げる力を利用して深々としゃがみ込んで――
 タン!
 軽い靴音を立てて、羽ばたくように両手を振り上げ、背筋を活かして跳躍をする。
 ばさっ。
 音も無く、実像も無く、舞菜の『翼』がもう一度羽ばたいた。
 矢のような加速で塀の上空へ跳び、淡雪のような速度でふんわりと塀の上に立つ。
 その軌跡は放物線ではない。
 仰角のある跳躍は、その高さおよそ3メートル。
 跳躍の軌跡が頂点から真下へと落ちていく、人間ではありえない跳躍だった。
『翼使い』である舞菜はそれができる。
 猫は風花が舞い降りたのかと天に目を配らせ、背後に降りた舞菜の姿に本能的に警戒する。
「はぁぁ〜ぃ、良い子だからじっとしていてデス〜」
 超人的な躍動を繰り出し、かっこ良く舞い降りたはずなのにその声はなんとなく情けない。
 着地に失敗して、塀からおよそ一・五メートルの店舗の壁に片足立ちの姿勢で寄りかかっていたのだ。
 猫は一度警戒したが、もう一度ぷいっと顔をそむけて塀の奥へ飛び降りてしまった。
 奥はテナント募集中の二つの建物が立ちはだかっている。
 猫が通ろうとしている建物の雨どいの隙間は人ではとても通れないだろう。
 一度塀から降りて、彼(?)が出てくるであろう貸し店舗の隙間――すなわち先ほどの喧騒、駅付近のアーケードへ駆け足で迂回する。
「うぎゃぁぁぁぁぁー!」
 アーケードからの絶叫で舞菜の駆け足が加速した。
 そこでは先ほどの猫がアーケード入り口のバス停に並んでいた男性を襲っていた。
 格好の爪研ぎ場所を見つけたように背広姿の男性の顔を引っかいている。
「こらあー!」
 舞菜が怒声を上げて駆け寄るがその声はあまり迫力がない。
 しかし猫はその追っ手に気付き、爪研ぎをあきらめた。
 男から飛び降りて、道端に転がっている携帯電話(被害者の物だろう)に鼻先を押し付ける。
「ガーピーガービニョンビョンザザーザー」
 電話口の猫がおよそ地上の生き物とは思えない奇声を上げた。
「あっ」
 思わず舞菜が声を上げる。これは彼女にとって大きな失敗だった。
 一瞬立ち止まりそうになるが、そのまま猫と男のほうへ駆け寄る。
 猫は体の水を振り払うように数回身震いして、きょろきょろと周囲を見渡してから、先ほど大通りへと出てきたテナントの隙間に入ってしまった。
 舞菜はその猫にはかまわず、引っかかれた男性の方へと走ると――
「すみません!『すぐ行くです!』」
 ……道端に落ちている携帯電話を拾い上げ、電話口に謝った。
 引っかかれた男性にではなく、だ。
 そして通話を終え、携帯電話の通信履歴で相手先を確認して男へ「どうぞ」と返す。
 ここでようやく舞菜は周囲の視線に気がついた。
 夜襲をはじめた猫。
 その猫の悪行をたしなめに来たのかと思いきや、男性にではなくその電話相手に謝る怪行動。
『ウワサの子だ』
『本当にいたんだ』
『へーこれが最近ウワサの……』
 そんな視線が舞菜に集中していた。
「え? え??」
 先ほどの猫のようにきょろきょろと周囲を見渡すが、角度を変えるごとに別の人の視線と鉢合わせする。
『こうなったら最後の手段です!』
 そんな根拠のない決意で舞菜は叫んだ。
「しっつれいしまーす!」
 三十六計逃げるに如かず。舞菜は先ほどのように身を低くして腕の反動を利用して……
 タン!
 矢のような加速で跳躍し、電柱の頂上を踏み台にして、更に近場のビルの屋上へと跳躍。
 そこからは脱兎のように突っ走る。
 その目には涙がにじみ出ていた。
「うえーん、またやっちゃったですー! 電話の人に『感染』してたらどうしよう〜〜」
 今までの舞菜の行動は、猫が、先ほど店長が言っていた『新種のウイルス』を内包していたのに気付き、その『ウイルス』を追っていたという理由があった。
 だが、猫の携帯電話への意味不明な鳴き声で、ウイルスが電話回線を経由してその通話相手へと転移してしまったのだ。携帯電話のネット機能のように。
 人や動物の間から、果ては携帯電話やパソコンなどの情報通信機器の間までも行き来するデタラメな感染経路を持つ奇妙なウイルス。
 それを浄化して回収するのが舞菜の仕事だ。
 そのウイルスはどういうわけか正式名称は『テスタメント』というらしい。
 ウイルスの正体も、呼び名がなぜ『聖書、もしくは遺書』という意味の単語なのかもわからないが、ソフトウエア工学や薬学でのワクチンが存在せず、『翼』の力でしかそのウイルスを駆除できないので大抵の翼使いはこの『テスタメント』封印を生業としている。
 翼使いを狩る組織があるので普通の仕事はできないし『テスタメント』集めは報酬が良い。少なくとも高級ホテルなんかに宿泊し続けなければ衣食住に不自由はない。
 翼の力で走り、飛ぶ舞菜の涙が風に切られて飛び散った。
 まだ泣き止まない理由は通話先だった町工場の場所のせいだ。
「軽く一〇キロはあるですよー!」
 あなおそろしや情報社会。報酬が良い分苦労も大きいのだ。
 舞菜が『飛ぶ』場所はビルの屋上から送電線の鉄塔へと変わっていた。
 ここは比較的人の目に付きにくく夜間でも常夜灯が燈っているおかげで適当にアタリをつけて飛べば次の鉄塔に着地できる。
 言わば翼使いの空路だ。
 鉄塔から鉄塔までの間を次々と飛ぶ。
 地上の街の灯火と、空に浮かぶ星の輝きとの狭間の空間を。
 舞菜はその両者の輝きが好きだった。
 光としての自然の光と人工の光。原理は多少違うが、輝いている。
 世界が流転して――惑星(ほし)や宇宙(そら)が、世界が、生きていると感じる空間。
 そんな空間を飛ぶのが舞菜は好きであり、これが仕事の合間のささやかな清涼剤なのだ。
「?」
 舞菜は次に着地する予定の鉄塔に違和感を覚えた。
 まだ優に二〇〇メートル先にある鉄塔に人がいる。
 夜間の高空では視力で見えるはずがない。
『翼』がそう感じたのだ。
 空気を裂く舞菜の跳躍に鉄塔は迫り、果たして舞菜の翼が感じたとおりそこには人がいた。
 黒い服を着た銀髪の男だ。鉄塔の端に腰を下ろして月夜を眺めている。
 先ほどマスターが言っていた男、『あいつ』であり、一週間前から舞菜と仕事を共にしている翼使い。
 トン……
 舞菜の足が鉄塔に着いた。
 意識せず舞菜は彼を見ていた。
 同じように彼もまた舞菜を見ていた。
 ほんの一瞬が妙に長く感じるときがある。今がそのときだった。
 互いに視覚からの情報を表情筋に伝達するよりも短い接触。
 反応がまだ出ていない彼の顔は、偏見かもしれないが吸血鬼的な『美』があった。
 それはこの天と地の星が散らばった『夜』があまりに彼に似合っていたからかもしれない。
 闇夜のように広い肩に羽織られた黒いサマーコートと胸のネックレスの輝きがこの夜の縮図にさえ見える。
 だからといってこの空と同じように彼を好きだというわけではないけど……我ながら妙なめぐり合わせをしたものだわ、と舞菜は心中でひとりごちた。
「今日は一日サボる気? 闇夜のカラスさん?」
 そう黒ずくめに光り物をあしらった男に言って、
 タン!
 舞菜はそのまま次の鉄塔へと足を蹴り出した。
 タ……
 後方から音がした。
 どうやら彼もやる気に成ったらしい。
 先ほどの表情のまま、闇を従えるようにスマートな巨躯が飛び立つ。
 その姿は『凶鳥』の意味を持つ彼の通り名、レーヴェン(ワタリガラス)に相応しいものかもしれない。
 彼に追い抜かれないように舞菜も全力で飛ぶ。
 ……程なくして電話先の町工場の屋上へたどり着いた。
「一〇キロを六分三二秒か。まあまあだな」
 初めて口を開いたレーヴェンは運動部のコーチよろしくそうのたまった。
 実際、先輩翼使いとしていろいろと彼から教わっているのでトレーナーやコーチとあまり変わらないのかもしれない。
 ……『翼』に関して『だけ』だが。
 こっちはゼーゼー息を切らせているというのに彼は無表情のままだった。言葉にも抑揚はない。
 レーヴェンは未だ呼吸が回復していない舞菜をあっさりほったらかしにして、敷地内の倉庫に踏み入った。
 あそこにウイルスはいないはず。
 ウイルスは、多分三階の一つだけ電灯が灯っている部屋。
 舞菜の翼がそう囁いているが、レーヴェンは赤いペンキの瓶に軍手を浸しながら倉庫から出てきた。
 何だか嫌な予感がする。
 コンビを組んでから良くある予感だ。
 そして舞菜の予感はすぐに的中した。
 レーヴェンがぬらぬらと赤いペンキが浸された軍手を三階の窓に投げつける。
 ビタン!
「うぉわぁぁぁぁぁぁ!!」
 即席の『怪談・手形の血が染みる窓』で室内から悲鳴が上がった。
 クールな顔(というか仏頂面)をして、やる事は昔いたらしいワンパク小僧のようだ。
 だからこそ『翼』に関して『だけ』舞菜は彼を認めているのだが。
「ここにいるのは一人のようだが感染者ではない」
 悲鳴から人数を逆算したレーヴェンが屋上の舞菜にはっきり聞こえる大声で言い放ってしまう。
『そんな声じゃ、さっきの悪戯が無意味になるんじゃないです?』
 と思ったが、レーヴェンは舞菜と自分を指差して『舞菜は真下に降りるように、自分は真っ直ぐ上がる』と手で合図をした。彼は先ほど軍手を投げた窓の下でスタンバイしている。
 それって、またワンパクするってことですね……
 舞菜が気を滅入らせる頃には、悪戯だと気付いた職員がペンキにぬれた窓を開けていた。
 ガラガラ!
「誰だ! こんな悪戯したのは!」
 犯人を探そうと職員が窓から顔を出したのが運の尽き。
 バキ!
 ドスッ!
 落下する舞菜が後頭部を、跳躍するレーヴェンが顎を強打して、気絶した職員ごと室内に侵入する。
「うわー、やっちゃったです……」
 床に転がって完全に四肢を投げ出した、グロッキー状態の職員を舞菜が恐々見る。
「とか言いつつ打撃に全体重乗せただろう。俺が拳を引かなかったら顎が割れていた」
 レーヴェンが抑揚の無いつっこみを入れた。
 そのまま町工場の一室を見渡す。どうやらここは事務室兼製図室のようだ。
 電源の切られた事務用のパソコンが二台と、製図ソフト(CAD(キャド)という通称だとレーヴェンが教えた)が起動したままのワークステーションが並んでいる。職員が残業で使っていたのだろう。
「こいつに入ったな」
 レーヴェンがワークステーションを見て即断し、室外の廊下と階段の電源を探して一階へ降りる。
「ネットに逃げられたの?」
「いや、まだこの工場にいるのはおまえの翼でも感じるだろう。奴は追いまわされて混乱している。そして混乱の思考は攻撃という手段につながった。あまり戦闘は好まない種類のはずなのだが」
 舞菜がレーヴェンの翼を認めている理由はここにある。
 ウイルスの感染経路を読むのが上手いのだ。
 舞菜には分からないウイルスの心理(そんなものがあるとは知らなかった)までレクチャーしている。
 そして彼が指さした階下では耳をつんざくような金切り音が鳴り響いている。
「あのワークステーションから工場の制御系に入って作業用工作機械を操っている。それがウイルスの武器だ」
 二人が向かおうとしている一階の工場部分は、先ほど外から見たときには無人のようだったし、機械音も無かった。ウイルスの仕業というのは本当だろう。
「なんか、機械帝国の逆襲って感じ?」
「そんな所だが、今日日じゃ三文小説のネタにもなりはしない」
 一階の鉄扉のカギが赤い火花を散らしている。
 内側から金切り鋸か何かで切断しているのだろう。
「力仕事は引き受ける。ウイルスを落とせ」
 内側にいるであろう作業用機械に向かって、カギが壊される前にレーヴェンが扉を蹴り破る。
『翼』の力を上乗せした蹴りはドアといっしょに自走式の工作機械も吹き飛ばしていた。
 2トンは有りそうな巨大な工作機械を蹴り飛ばすまで体力を増強させる翼も舞菜は持っていない。
 レーヴェンがそいつを相手して舞菜がウイルスを相手するというのは妥当な人選だろう。
「オーライです」
 作戦の意図を理解した舞菜が部屋に踊り出る。
 部屋は二列のベルトコンベアのある組み立て作業現場だった。
 しかしその大きさが尋常ではない。よほど大きなものを作っているのか、レーヴェンが相手している工作機械がフル回転してもまだ足りないくらいの面積があり、二階部分は吹き抜けで、重機と同等の大きさの冷蔵庫らしき製品がクレーンで宙吊りになっている。
 面積は広い。だが、攻撃を仕掛けるような存在は例の工作機械一台だけだ。
 これなら舞菜がウイルスを探すのを邪魔する奴はいない。
 ドア越しからの奇襲は成功だ。
 工作機械は中央の本体が円筒形で、八本のアームを持ったプログラムにより自律運動をするマシニングセンタ(無数の工具を内蔵した自動工作機械)、商品名「クラーケン」。
 一台であらゆる現場作業と大抵の加工をこなせることが売りの高級品だ。中小企業にもこういったものが一台ないと今の時代はやっていけないのだが、高度なコンピュータを内蔵しているためにウイルスにクラッキングをかけられることも多い。
 そいつにはもうレーヴェンが組み伏せに入り、『翼』を腕力に向けて、マニュピレーターの一本をへし折っていた。
『あの一撃で数千万円は翼に乗って飛んで行ったですね……』
 しかし会社の損得勘定などクラーケンのクラッキングされたプログラムにもレーヴェンにも無く、そのまま一人と一機は格闘戦にもつれこんだ。
 クラーケンの腕の一つ、槍のようなコンクリート破砕機がレーヴェンを襲う。
 16ビートの雑音が暗い工場の中で響き渡った。
 それでもあいつなら渡り合えるという確信があるから舞菜はそのまま翼の感覚を頼りに進む。
《……》
 かすかにだが、舞菜の翼はウイルスの気配を感じ取った。
 何かを切なく訴えているような気がするが、レーヴェンのように聞き取ることはできなかった。
 舞菜がそれを頼りに行き着いた場所は、多分あの工作機械のコントロールパネルなのだろう。
 ウイルスはそこへ転移して「クラーケン」を操っていた。
 わずかばかり感じ取れるのはウイルスの種別・『2番』。
 舞菜は左手に化粧水を入れるような小瓶を持ち、もう一方の指は音楽の指揮者のように一定の起動を何度も周回させだした。
 ウイルスを小瓶に『落とす』翼の力――
「ここは鉄と石の街 躯の化石で動く場所」
 舞菜は指揮と共に吟唱を始める。
「物言わぬ土くれが『製誕(せいたん)』を受ける場所」
 舞菜の指揮に従うようにコンクリートハンマーがそのビートを緩めはじめた。
「一度眠りなさい。名も無き翼の聖書(テスタメント)が一つよ。今はただ安らかに……」
 舞菜の吟唱は『2番』に明確な作用を与えていた。
 パネルから白く半透明の女性が浮かび上がる。
 聖職者のような女性。それが『2番』の姿だった。
 立体映像のような彼女に向かって、
「エンド・オブ・ファイル」
 舞菜が指揮の指を握り、軌道を止めると『2番』は小瓶に雫となりって納まり、機械の暴走は止まった。
「終わったか」
 レーヴェンがいつのまにか平然と横に立っていた。
『あんな機械を相手にしたのに、こいつには限界というものが無いのです?』
 と思ったが、初めて逢った血塗れの彼を思い出してそれを否定し、しかし深手を負っていた彼が翼を治癒力に使って、見る間に回復する様子を思い出したら自問への回答がわからなくなった。
 彼の翼はRPGを地で行っている。はっきり言ってデタラメだ。
 そのまま分からない考えは保留しておこう。後で知るときが来るかもしれない。
「これでオッケーでしょ? 仕事終わったし、どっかで晩御飯食べて行こうよ?」
 彼に『2番』が封印された小瓶を見せ、舞菜は微笑んだが、レーヴェンの反応は無い。
 一週間の付き合いで知ったことだが彼は表情や反応に乏しいのだ。
 それに本当に『NO』の時には口に出すのでそれ以外は舞菜の自由。
 小瓶を自分のベストにしまって歩き出す舞菜だが、レーヴェンは一歩だけ足を踏み出して、それを止めた。
「どうしたの?」
 目の前には動かなくなったタコかイカのような自走式多足機械。そしてレーヴェンの体中には機械油という名の躯の化石がべったりと塗りたくられている。
 切削油か油圧シリンダーのパイプを千切ってしまったのか、もろに油を被ってドロドロのぬらぬら状態だった。
「風呂が先だ。飯はその後。シーフードは食わん」
 そう言って一度は止めた歩を進めた。
「なんかそれって『おかえりなさい。ご飯が先? それともお風呂?』みたいな注文ね」
 コンパスの長さですぐに舞菜は追い抜かれてしまい、背中に向かってからかってみる。
 反応に乏しい男なのでどうすれば反応するのか遊んでいるのだ。
「そういう台詞は「もちろんおまえが先だ」と男に押し倒されるように成ってから言え」
 化石旧のオヤジギャグに「うわっ、何のためらいも無く言ったデス!」と、自分でけしかけておきながらも彼の背に平手をかましていた。
 舞菜は口と同時に手が出るという、どちらにも偏らないバランスの取れたタイプだ。
 バチン! と行くはずの音がなぜか、ぴちゃん。
「?」
 平手の反動で顔に、服に、ぷつぷつと液体がはね返った。
 レーヴェンの服に染み付いた機械油だ。
「あ」
 舞菜の反応は気にせずに、レーヴェンは頭の記憶回路を更新している。
「定石の冗句ではなかったのか……勉強になった。この分じゃおまえも風呂直行だな。工業用洗剤を物色させてもらおう。この油汚れは普通の洗剤では落とすのが難しい」
 その知識に「そうなの?」と自然に声が出た。
 人としても翼使いとしても年期の差がある彼は舞菜にとって知恵袋的なポジションにもある。……たまに(というかほとんど)ピントがずれた知恵を与えるが。
「高卒後、もう少し大きな工場に就職していた。半年ほどだったが」
「え――?」
 年期の差、それ即ち人生の差。
 彼の過去を予期せず垣間見てしまい、舞菜はどう反応すれば良いのか分からず沈黙してしまった。
 彼もまた普通の人の暮らしを奪われてしまった一人なのだろう。

 2

 ちゃぽーん。
 天上の雫が湯船に落ちる。
「はぁぁぁ〜〜……」
 舞菜はその湯に浸りながら気の抜けた声を上げた。
 心安らぐひと時。それが風呂。
 だがしかしそんな安らぎが舞菜の気の抜けた声にはなかった。
 ライヴハウスの二階。マスターから借りている部屋のユニットバスで舞菜は一人ごちた。
「なんでこんな所で油まみれの服を洗わにゃいかんのです……」
 ユニットバスは変な洗剤の泡風呂になっていた。
 レーヴェンが物色してきた工業用洗剤の泡風呂……強力すぎて肌にとことん悪そうだ。
 お気に入りのベストやスラックスもこの風呂の中。
 その石鹸は洗顔フォームに似たスクラブの入ったもので、ポンプで押し出す石鹸だった。
 油のにおいを消すことを考えているのか、シトラスミントの香りが頭をくらくらさせるほど強烈だ。
 最初は服だけを洗う気でいたのだが、体の油に気付いたら思わず洗っている泡だらけのワイシャツでそれをぬぐい、こうなったらいっしょに油汚れを落としてしまおうということで、昔ながらの『足ふみ洗い』とかもついやってしまい、最終的には舞菜が服を洗っているのか服を舞菜が洗っているのか分からなくなってしまった。
「なんか、お風呂じゃなくて洗濯機に入ってる気分です……」
 そしたまた雫が、舞菜と服を浮かべた湯船にちゃぽ〜ん。
 少し休もう。疲れた……
 その大半は気苦労だ。
 工場に夜襲をかけるなんてことは舞菜自身慣れてもいなければ好きでもない。
 むしろ怖くて嫌なことだ。
 正直なところ舞菜は『翼使い』としての生活は日が浅い。
 思い起こせば一ヶ月前、自分の通う学校が武装集団に襲撃を受けて二名の生徒が拉致される、という事件があったのが事の始まりだった。
 その拉致された一人が舞菜であり、もう一人は和泉敬一という男子生徒。
 彼はバレーボール部に所属して、舞菜もまたバレー部。
 男女別で活動するので会話らしい会話はしたことがない。
 事件後の彼の消息は不明だ。おそらく拉致されたままなのだろう。
 舞菜がこの事件を知ったのはしばらく後だった。
 そして舞菜が助かったのは《詩》のおかげだった。
 死なない程度の神経系麻痺毒を持ったガスを吸い、意識薄弱としていた舞菜に訴えて来た《詩》が『翼』を羽ばたかせ、逃げ出すことに成功した。
 麻痺毒から癒えてからも《詩》は色々な事を教えた。
 武装集団は通称『白服』と呼ばれていて、翼使いを舞菜のときと同じような手口で集めているテロ組織だということ。
 翼使いと分かった人間の縁者には二十四時間体制で監視が付き、家に戻るようなことがあれば拉致するまで襲撃に遭うこと。
 そのためほとんどの翼使いが定住せず、流浪の日々を送っていて通称が『渡り鳥』だということ。
 そして『翼』と『ウイルス』は何らかの関係があり、ウイルスを無力化させて子瓶に封印した『テスタメント』は翼の力を増強するいわゆる『魔法の道具』のような使用方法があること。
 おそらく武装組織が翼使いを拉致する原因は、軍事的にその翼とテスタメントの力を利用するか、もしくは偏った平和主義で翼使いを危険分子として排除しているのではないか、ということ。
 それら一連の翼に関する情報を《詩》に知らされ、自分の意志で翼を使いこなせるようになった舞菜は《詩》を詠っていた本人に出逢った。
 それがレーヴェンだった。
 正確にはレーヴェンは詠っていたわけではなく、意識に訴えかける《声》を出していただけらしいが、受け手である舞菜の翼がリズムまで付けて《詩》にしていたそうだ。
 翼使いの個性でレーヴェンが発信する《声》は受け手には《楽器のような音響》や《白昼夢のような映像》、そしてダイレクトに《声》などとして受信されるらしい。
 そして《声》を受信することは翼使いなら誰でもできるが、発信できる翼使いはレーヴェン以外に居ないらしい。
 血まみれのレーヴェンは『翼』で傷を見る間に塞いでいた。
 彼がその傷を負ったのは武装集団・『白服』との抗争でだったそうだ。
 そして彼は白服に対抗するために人手と『テスタメント』が欲しいらしい。
 一方舞菜は拉致されたクラスメート・和泉の行方を案じていた。
 学校でも部活で多少姿を見て、噂話を遠巻きに聞いただけの男子だったが、同じように人間社会から排斥されてしまった境遇となると気がかりだ。
 それに、そんな人権を奪われたような人間――自分が、アスファルトの渓谷に放り出されて、何の目的も無く逃げて生きるのは、辛い。
 後者の意識ほうが本心だということは舞菜自身自覚している。
 理由はどうあれ、双方の利益のために共闘する。
 それがムクドリ(myna)とワタリガラス(raven)が共に飛ぶ理由だ。
《寝るな》
 もう馴染みに成ったレーヴェンの《声》にはいちいちリズムは付かない。付くのは強力な翼を使うときくらいだ。
 その声がへんてこな風呂場で眠りこけている舞菜の意識をまどろみに引き戻させた。
 目覚めにこの《声》というのは良い思い出がないが、傷痕を自分でほじくり返すようなドロドロした人格を舞菜は今までの人生で築き上げていなかった。
 父の仕事の都合で世界中を転校していた彼女には、内気で陰気になるよりも自分から率先して人に話し掛け、言語の違う国の中で失敗をものともせずに意思の疎通を図ることが生活の必須条件だったからだ。
 今思えば父の仕事は渡り鳥に似ている。父も翼使いだったのかもしれない。
 とーさんわたしをきたえてたのかもです〜〜……
「むにゃ〜。れーべんあと5ふん〜〜」
 そして出てくるのはこんなのほほ〜んとした声だった。
《そうか。ゆっくり入るのも良いが、変な風呂で湯当たりするなよ》
 ……?
 なんで変な、っていうか今もお風呂に入っているって知っているデス?
「覗いたの?! 覗いてるのレーヴェン!?」
 おもわずその『変な風呂』の中に全身首まで漬かる。
《俺の記憶からの判断だ。子供時代に泥遊びをやった後、風呂で洗濯機の真似事をやった覚えがある。あれは結局泥遊びの延長だったが……家の者にかなり怒られたな》
「……前から思ってたけど、そういうワンパクって顔に似合わないデスよ?」
 その指摘にはあっさり《そうか》と返されてしまった。
 多分本人はあの仏頂面のままなのだろう。
《今のおまえは想像してもあまり違和感はないぞ。童顔だからな》
 その仏頂面でこんなセクハラまで言うからけしからん。
「想像す、る、な〜〜……」
 舞菜は声を張り上げようとした、が、力が入らない。
 どのくらい眠っていたのかは分からないが、体に良い時間ではなかったようだ。
 最初に叫んだ段階で体力を使い果たしてしまったらしい。
《……のぼせたか。まあいい。飯はピッツァーのテイクアウトをベランダにでも置いておく》
 これは私生活を共にしない彼にしてはかなり気の利いた行動だった。
《体調を整えておけ。明日の正午に迎えに行く》
「迎え?」
 どうやら気が利いているのには理由があるらしい。
《そこに住むにも限界がある。噂にも成り過ぎた。俺たちは渡り鳥だということを忘れるな》
 それを最後にレーヴェンの《声》は消えた。
「そう、ですよね……」
 独り言と分かっていながら、消えてしまった《声》にそう答えた。

 風呂から上がり、洗濯物を『翼』で魔法のように瞬間乾燥させた舞菜はそれをハンガーにかけ、マスターが以前旅行に行ったとき間違えて持って帰ってしまったというホテルの浴衣を着て、居候するときに出してくれた扇風機をソファの近くに運ぶ。
 マスターには本当に世話になりっぱなしだったです。何かお礼をしなくちゃ……
 ポチ。
「投げキッスはぁぁぁっ! 相手のハートを射抜くようにぃぃぃっ!」
「打つべし!」「オス!」「打つべし!」「オス!」「打つべし!」「オス!」「脇が甘い!」「オス、すみません!」
 備え付けのテレビのスイッチを何気なくオンにしたら、珍妙な番組を見てしまった。
 見るからに怪しいサテン地の道着を着た三十路もいいとこの女性師範と自称十代の門下生(一瞥して二十代半ばと分かる)が、口元からシッペを繰り出すような練習をして、三流お笑いタレントがつまらないボケとツッコミを入れている。
 平日の深夜って、面白い番組無いのです……昔は土曜の音楽番組しか見なかったし。
 とりあえず『渡り鳥』になった頃から見だしているB級映画のチャンネルを回してみるが、プロ野球で時間が変更に成ったらしい。
 テレビショッピングのチャンネルに合わせる。
 決まった家がないので買うことは無いのだが、ボリュームをかすかに聞こえる程度にすれば価格への大げさな歓声がさざなみのように聞こえて適当なBGMにはなる。
 そしてソファに腰掛けて扇風機のスイッチをオン。
 清涼な風がのぼせた体に気持ち良い。
「ふいー、生き返るナリよぉー」
――舞菜ぁナリは変すぎだよぉ!――
――『舞菜語』だよねぇ。「です」の使い方も変だし――
――やっぱり世界各国巡ってると母国語も難しくなる?――
 修学旅行のお風呂タイムで友達とそんな会話をしたのを思い出した。
 学校という、何気ないたくさんの人との日常が今は懐かしく、そして今は一人でいる事に舞菜はほんの少しだけ感謝していた。
「フィーリングで喋っているから、他の国でも言葉が変だって言われてたです……」
 思い出した友達に、涙を見られなかったから。

 翌日。
「ようレーヴェン。久しぶりだなぁ」
「パトカーに追われているのを見ていただろう」
「あれは『見かけた』っていうんだよ。こうして会ったわけじゃねえ」
「そうか」
 約束の正午になってもレーヴェンは舞菜の部屋には来なかった。
 とりあえずあいつが来る間にマスターに別れの挨拶をしようとライヴハウス一階会場に降りてきた舞菜は、会話する顔ぶれに状況が把握できなくなった。
 弾き語りのようなポーズで自分のエレキギターを構えたマスターと、自然に立っているだけだが長身のためモデル立ちのような迫力のあるレーヴェンとが仲良く(?)話をしている。
「相方が世話になったな」
「ガスの海から逃がしてくれた恩人に言われる筋合いは無いと思うぜ?」
 感謝をそのまま表しているようにマスターは弦を弾いている。柔らかな真空管エフェクタの音色だ。
 その様子に舞菜がどんよりとした顔で割り込んだ。
「マスター。レーヴェンのこと、知っていたですね……」
 どこまで知っているかカマをかけていたのは舞菜だけではなかったのだ。
「やあ、舞菜ちゃんおはよう」
 いつものくわえタバコの語尾にはなんとなく(汗)マークが付いている。
「知ってたデスね……」
 更に舞菜が詰め寄るとマスターは苦笑しながら「うぅ」とうめいた。
 追い出されないように今まで仕事や白服との諸々の事情を隠していたのが無駄だったと思うと脱力してしまう。
 妙に『翼』に詳しくて、高校生程度で流浪の日々を送るというあまりにもワケありな舞菜を居候させてくれたマスターへ『関係者じゃないの?』と疑いもしなかった自分の間抜けさが脱力に輪をかけさせる。
 そして幽霊のようにマスターに尋問する。
「知ってたデスね……知ってたDETHね……」
 しかして白状したのはレーヴェンだった。
「マスターは翼使いの中でも自分の翼を隠して暮らせる『留め鳥(とめどり※造語。日本語では留鳥(りゅうちょう)です)』だ。おまえのように翼を隠せない『渡り鳥』が彼の翼に気付かないようなら『白服』にも気付かれない。留め鳥の安全性のチェックと渡り鳥の宿。その両面の利益のためにマスターは渡り鳥に数日の宿を提供している」
「数日……。それじゃ私、長居しちゃったですね、マスターも危なくなっちゃうです……」
 なんとなく落ち込んだ返事をしている舞菜の耳に、マスターがキュイイイイーンとかん高いネックスリップを奏でた。
 一回の弦の弾きで背筋が思わず伸びるような気がする。
 元気を出させるマスターの無言のテクニックだ。
「一人のアーティストとして舞菜ちゃんが気になったのさ。楽譜も読めないレーヴェンの声に《詩》を聞いたって話を聞かされたからね」
「俺はメカトロニクス専門だ。MIDIシーケンスやPCM、mp3に変換すれば分からんでもないぞ。FM音源も可能だ」
 この大男が意味不明なことを言い出すのはやはり元技術者という経歴からだろうか。
「舞菜ちゃんもめんどっちいのがパートナーに成っちゃったねぇ」
「これに加えて変にやんちゃなところも大変です……」
 切実にそう答えている舞菜をやはりレーヴェンはあっさり無視して、別の話題をマスターに投げかけていた。
「奴に動きはあったか?」
「分からない。相手が並の白服と段違いだからな。今五人ほど渡り鳥が張っている」
「すまない、手間を取らせる。奴は戦闘力だけなら幹部以上だからな」
「かなりやばいのはあんたの怪我で分かってる。こっちも全力で情報提供するさ。舞菜ちゃん、この仏頂面のこと頼んだよ」
 そう付け足したマスターの言葉と、出口に翻る黒いコートに促されて舞菜とレーヴェンはライヴハウスを後にした。

二章 昼に狩る白い翼

 1

『困っている人は助けてあげなさい』
 そう教わったのは多分三歳前後だろう。
 鮮明な記憶は無いがその教育だけは僕のシナプスに焼きついていた。
『困っている人は世の中にたくさんいる。だから僕が助けるんだ』
 当然のように志して、家業の武道の修練を積み、将来は警察官に成る事が僕の夢だった。
 だけど就職する前に、その志を成し遂げなければならない人が現れた。
 僕が愛した人だ。
 幸薄い人だった。
 人助け番組のような歓喜の涙あふれるドラマは無い。
 ニュースに報道されるような極端な状況でもない。
 あるのは、母の借金と、そこから逃げた母と親戚。
 離婚していた父も逃げた者の一人だった。
 メディアが取り上げる気にならないようなベタ過ぎる出来事で、彼女は家を奪われ、アスファルトの只中に放り出された。
 店に住み込んで働いて暮らす生活……彼女の生き方をけなげで真っ当だと人はうなずくのだろうか。
 他人の家族の中で一人だけぽつりと置かれ、その家の子供がくすねた金の疑いをぶつけられるような生活を、人はうなずくのか?
 漠然とした『愛』や『幸せ』という幻を渇望する彼女にとって、その生活は生殺しという地獄だった。
 助けたい。
 僕はできる限り彼女のそばにいた。
 そして知ったことがある。
 どんな手段を尽くしてもただの高校三年生の僕では彼女を『幸せ』にはできないという事実。
 彼女が愛してほしかったのは僕ではなく親。
 警察とは殺人・強盗・放火・テロなどの大事件以外はローテーションどおり二四時間勤務して二四時間と四八時間の休暇を交代で取る公務員。
 そして彼女の口癖は
「幸せになりたい」
 僕にできたことは彼女が自分で作った手首の傷を八回手当てしただけ。
 助けたい……助けたい!!
 でも、彼女を幸せにする前に、
――苦しむ彼女よりも先に僕が壊れてしまった――
「少佐」
 湿度が高く、上下左右前後の六面を鉄で閉ざした部屋。
 小さな鉄格子から差し込む光だけが照明。
 牢獄でも精神科隔離病棟の鉄格子でもない。
『白服』という組織内にある僕の私室だ。
 力の制御ができない『翼使い』の私室は必然的にこんな作りになってしまう。
 冷たい床に座り、壁に背を当ててタバコを吹かす。
 葉は本物のタバコ葉ではなく、燃焼した煙が薬効成分になる僕専用の治療薬だ。
 だがその薬でも治せないほど壊れてしまった神経系のせいで、赤く燻った火球を持つ手は震えている。
 僕は壊れてしまったときに『翼』を手に入れた。
 もっと早く手に入れていれば彼女を――
 ……僕は本当に運が無いのだろう。
「シラサギ少佐?」
 鉄扉の向こう側からの声でタバコ薬の火を潰す。
 震える指先は少し火球を直につぶして、火傷を負った。
 だがそんな事は別にかまわない。
『この程度のリスクで、火球を潰すように彼女の嫌な現実が潰せたなら』
「少佐?」
――幸せになりたい――
「聞こえている!」
 急かされて口癖をまた思い出す。そして焦燥する。
 あの時僕は焦っていた。それは今も変わらない。
 異能の翼を従えて、正常な神経系の僕に戻って、彼女の前に再び現れたい。
 彼女が『僕じゃない誰か』を見つけたのは知っている。
 だけど、それでも彼女を焦がす火を潰せる人間はいないだろう。
――幸せになりたい――
 僕が蘇れば彼女を救えるかもしれない、たとえ僕が彼女の愛情の対象ではなくとも!!
 テーブルに散らばるトランキライザーをラムネ菓子のように口へ放り込んで、白い軍服の上着を羽織る。手が利かなくてボタンがはめられないから半裸と同じだが、できないものはできない――まだなんだ! まだできないだけだ! 戻ってみせる!―― 
 焦燥する意識を深呼吸でなだめ、落ち着いたと自覚してからドアへ歩く。
 平和主義にして軍事力を持たないこの国を泣かせるような白い軍服を僕は滑稽に思っている。
 ギリシャが文化の拠点だった頃から考え続けられている倫理学を持ち出しても、この世に破壊的なエネルギーがある限り先に相手にぶつけた方が生き残る。
 攻撃は最大の防御とはよく言ったものだ。
 だからこの白服の軍隊がある。
 ドアノブに手を伸ばすが、やはり手は満足に動かない。筋肉はあるのにそれをまともに動すだけの神経がないのだ。
 手の代わりに翼で――鉄扉を破壊した。
 ノブを回すつもりだったけれど今の僕にそんな器用な真似は――まだ――できなかった。
 ドアの外では鉄礫を浴びて五体から血を流す青年将校が痛みを堪えて敬礼していた。
 僕にそんな軍国主義かテロリズムじみた挨拶なんていらない。僕は少佐じゃなくてただの高校生なんだ……
「用は何? マイナの捕獲? それともレーヴェン退治?」
 僕の記憶にある五羽の鳥。その中の黒い二つは僕の敵だ。
 正確には『白服』の敵だが、彼らを相手にすることで破損した神経系を医療法外の手段で治療する契約を僕は結んでいる。
「両方であります! マイナとレーヴェンが群れを作りました!」
 マイナ。
 レーヴェン。
 たしか二人には何か聞くべきことがあったはずだ。
 壊れてしまった頃から記憶が曖昧で、よく思い出せない。
 だけど何かがあったはずだ。
 医師であり翼使いでもある白服幹部、キグナスの治療では思い出せなかったけど、会えば、思い出せるかもしれない……
「で、ミッションの詳細は?」
「この中に!」
 手帳型の情報端末、一昔前から流通しだした携帯電話と電子手帳をひとまとめにしたようなものだ。
 これを媒介にして僕は翼でネット空間に意識を『落とせる』。
 僕は制服の内ポケットを青年将校に見せるようにして頼む。
「入れてくれない? 手があまり動かないし、翼で受け取ると君がドアの二の舞になってしまう」
 そう聞かされて青年将校が爆弾処理でもするように僕の懐に手をやり、恐る恐る内ポケットに端末を入れる。
 意識を電脳に入れられるから、手が利かない僕が書類をめくるより効率が良い。
 それと同じ要領で僕は人の心も多少読める。
 彼は畏怖し、汚らしい拒絶の意思を僕に向けている。
 だけどそんなことはあたりまえだ。今の僕は異常なのだから。
 彼が渡した端末には僕一人でマイナとレーヴェンを『捕獲』するようにとの通達があった。
 今の僕にとって捕獲は殺害と同義だ。
 スポンサー(この国もしくは他の国、または結託したテロ集団だ。心を読んで知った事だが情報が軍内部でも操作されて交錯している)との契約上そういう名目が欲しかったのだろう。
 そして彼等は名目上『ミッション中の事故』で死ぬ。
 僕の単独行動というミッション内容は、同じ白服の軍隊を連れても僕の翼が暴走して仲間を殺してしまうからだ。
 それは一週間前のミッションでレーヴェンとやりあって実証されている。上層部の当然の判断だ。
「今二人は電気街か。僕はもう出るから隔壁操作を」
 手で触れずに、目で見ずに電子情報を読み取るのはやはり常人には気味が悪いようだ。
 青年将校の畏怖が高まっている。
 青ざめた将校は軍隊では必須の復唱を忘れたまま廊下のコントロールパネルへ全力疾走して、彼の肩幅以上あるパネルを食い入るように見て、核反応炉を扱うように慎重に、タッチパネル式の画面と、僕を見ていた。
 重厚な隔壁が閉じて廊下が一本の通路になる。
 それと同時に僕は狂った翼を広げてあの二人を射る凶弾に成る。
 隔壁を銃のライフリングのようにえぐりながら僕は空へと飛び立った。
 マイナ、レーヴェン、そして華萌愛(かもめ)……
 決着をつけなくちゃね……

 2

 電気街の裏道は迷宮だ。
 使えるのか使えないのか分からないような機械やコードが雑然と置かれ、店内の内装は「洒落っ気が無い」を通り越してまるで倉庫だ。値札さえ荷札に見える。
 分かる人にしか分からない場所だろう。
 レーヴェンなら分かるのかもしれないが、『分からなくてどうしようもない』舞菜は迷子になって、レーヴェンを探していた。
 翼を使えば居場所はすぐにわかるのだが、すでに発見したウイルスと、白服に気配を感取られたくない。
 携帯電話は通常のものを改造して受信位置に偽情報が流れるように細工してあるので比較的安全な交信手段なのだが、その携帯は話し中でレーヴェンは出てくれない。
 一方レーヴェンはその迷宮でなにやら買い物を済ませ、廊下程度の幅で小さな商いをしている看板も無い店の脇に立って舞菜がかけられない携帯電話を手にしていた。
「……おまえの家のあたりは今が梅雨明けだろう。もう雑草は根絶やしにしにしただろうな? ああ、それでいい。でないと大事なナスやキュウリが大変なことになる。それと隣接している荒川さんの畑は牧畜用トウモロコシの収穫が終われば乳牛用の藁の種を散布するはずだ。風に乗っておまえの畑にも種が入り込むだろうから、草の枯れる季節まではくれぐれも用心しろ。大量の枯れ草は火事の元だ」
「『火事の元』じゃな〜〜い! 携帯に出ないと思ったらそんな話をしてたんかいですっ!!」
 ようやっと合流を果たした舞菜が以前見たカンフー映画の飛び蹴りを浴びせる。
 にもかかわらず平然とレーヴェンが「じゃあ、その頃にまたかける」と赤いボタンを押して話を終えた。
 どうやら携帯の相手は『留め鳥』だったようだ。
 電話回線を経由して聞こえた声に舞菜の翼がそう感じた。
 しかしなにゆえに農業のレクチャーまでしていたのやら……わけのわからない男デス。
「農業を侮るな。はっきり言って自給自足なぞこの国では夢のまた夢だが新鮮な生野菜無くして人の健康はありえん」
 舞菜に向き直って開口一発、レーヴェンはそうのたまった。
「はいはい力説ごもっとも。どうでも良いからさっさと行くです」
 今の状況ではウイルスをテスタメントに変えて、白服が来る前に撤退するのがベストな作戦だ。行動は早いに越したことはない。
「夢無くして人は語れない。だが夢を意識しすぎるな。夢に食われて夢を超えられない」
 レーヴェンはまたも素っ頓狂なことを言い放った。
 理工系の思考はこんな感じなのだろうか。
 詩ならば多少のクサイ事は平気で言えるが彼の言葉は時として意味不明だ。
 このままでは仕事にならない。
 唸るように声を上げながら実力行使で思いっきり腕を引っ張る。
「そのときは獏でも呼んで夢を食べてもらいますよ〜っ!」
 普通に手を引いているつもりだが、身長差のせいでその情景は一本背負いを仕掛けているようにしか見えなかった。
 うーん。ううーん。
 動かない。
 うーん。ずにゅ。
 レーヴェンの腕が軟体動物のように『ふにゃけた』。
 奇妙な感覚に引っ張る手を見るが、彼の手は真っ直ぐ一本背負いされている。
 ぐにゃり。
 視界がゆがむ。何かがおかしい。
「ねえ――?」
 違和感が如実になると同時に舞菜は声を上げた。
 めまいなのだろうか。体がふらふらする。
 無意識に天を仰ぐと、大型電器店のビル窓が学校の靴箱のようにずらりと並んで、夏の陽光を瞳に突き刺すように反射している。
 それもなんだかぐにゃぐにゃとゆがんで見える。
 体調は何ともないはずなのにどうしてこんな――
 結論が出る前にレーヴェンが叫んだ。
「跳べ!!」
 普段言葉に抑揚のない彼が叫んだのは初めてだった。
 そしてその声は舞菜の息を詰まらせるほどの迫力があった。
 バリトンサックスのような腹の底にまで響く重低音パワーヴォイス。
 思わず体がすくむ。
 すぐに叫んだのは失言だったと気付いたレーヴェンが今まで舞菜引かれていた手を引き返し、飛んだ。
 カッ!
 電気街を一望できるほどに急上昇したレーヴェンの羽ばたきの下で、今まで二人が立っていた場所付近に駐車してあったバイクから炎が上がった。
 突然の爆発炎上に地上が混乱の騒音に包まれるが、頭の中がはっきりしない。
 思考が低下している。
 舞菜の手をレーヴェンはさらに強く引いて抱き上げた。
 ゆるやかに電気街の屋上に下降していく。
「おそらく白服お抱えの翼使いの攻撃だ。窓の反射光を強引に捻じ曲げて一点に集中させ、レンズで紙を焼くように発火させたな。
アルキメデスも使ったって逸話もある鏡の兵器利用だ。
気分が悪いのは発火前の温度上昇で体温が異常加熱しているせいだろう。
火傷は負っていないようだが、しばらくは安静にしたほうが良い。
ここは任せろ。翼使いと戦ったことはないだろう」
 持ち前の読みの良い翼と、ちょっとずれた博識で状況を舞菜に教えて、ビル屋上の巨大な円筒形をした空調設備の影に寝かせる。
 ある意味ここはベストスポットだった。
 まず日陰であること。
 そして寝そべることで先ほどの『窓からの反射光』の射程圏外に隠れたこと。
 更に、ビル一つ丸ごと管理しているのであろう空調の巨大な室外機は法熱効率を上げるためにスプリンクラーを浴びていて、直接ではないにしろ飛び散る水が霧状になって舞菜に当たり気分が少し楽になった事だ。その水の清潔さは、今は考える余裕が無い。
 舞菜は一時だけレーヴェンに全てを任せることにした。
 早く回復しなければそれこそ彼の枷になって、二人ともこの世から消えるだろう。
 相手は明らかに二人を殺しにかかっている。
「アルカナ13! デュアルスプレッド!!」
 そしてレーヴェンも13番のテスタメントを二つ同時に呼び出して死神の大鎌――デスサイズを二つ出現させ、白服に向かって飛ぶ。
 これがテスタメントによる翼の増強方法の一つ『武器化』だ。
 黒い二つのデスサイズを翼にするようにレーヴェンは飛んだ。
 舞菜は意識を心の奥底に落として、休み、回復に専念する。
 それが今できる最大の支援活動だ。
 ぼやけた意識の中でそれだけはしっかりと認識していた。

 電気街上空で二つのデスサイズと日本刀がぶつかり、離れてはぶつかる。
 二羽の翼の格闘。
「レーヴェン、だったよね……」
「おまえは自称シラサギだったな。一週間ぶりか」
 本物の鳥のように宙を飛ぶ二人は激突の刹那に言葉を交わす。
「マイナのそばであれだけ光を浴びてもここまでやるとはね」
「黒は熱吸収も良ければ熱発散もいい。自動車のラジエーターは黒いだろう」
 武器へと変化した翼の力の真っ向勝負。だが正面からの攻撃は、翼で強化された動対視力が攻撃を見切ってしまう。
 宙に留まって戦うこともできるが、前方は見切られてしまうので超高速に加速して防御できない死角から、速度と重量とを掛け合わせた攻撃をしたほうが有効打になる。
 そのため翼使いが空中戦を行うとき、その飛行は直進とカーブを前提となる。
 翼使い同士の空中戦は戦闘機のドッグファイトに近い。
 デスサイズと日本刀の攻撃が互いにぶつかり合い、斬り刻みあう翼の力が大気の分子を加熱させてプラズマ状にスパークさせる。
 その一瞬の輝きから互いにそのまま直進し、遠ざかったレーヴェンとシラサギが空で弧を描いて、再び衝突。
「何かを訊きたい、だが、思い出せない……」
「そうか」
 ヴン!
 スパークの中、レーヴェンの翼が異様なベクトルに作用した。
 直進している黒い凶鳥が忽然と消える。
 瞬間移動――
 空間のうねりと共にレーヴェンはシラサギの上を取っていた。
 獲物を捕らえる猛禽のように、2トンの重機を蹴り飛ばす脚がシラサギを捉える。
 直進するシラサギの挙動は急降下に変わり、ビルの外壁に叩きつけられた。
 それでもダメージは浅いのか、体にまとわりつく瓦礫には気にもくれず、シラサギは唇の血をぬぐう。
 レーヴェンもその様子を当然のように宙で見下ろしていた。
 今のはデスサイズでの攻撃はないし、徒手空拳が通用する相手でないことは一週間前に知っている。
 舞菜と出会う寸前に、レーヴェンに深手を負わせたのはこのシラサギだ。
「そうか、少し思い出したよ……」
 外壁に半ば埋もれた体から、ビルごと礫片を払いのけるように体勢を立て直したシラサギは問う。
「華萌愛はどこにいるの?」
「知らん。どこのどいつだ」
 終始無表情のレーヴェンに向かってシラサギは歯軋りした。
「知らない、だとぉ!!」
 短い問答を終えると二人は再び刃の翼を広げた。

《偽りの平等の世界で競い合ってる
 ブランド スペック 指輪への愛
 病にむせぶ中 窓の風当たって
 通り過ぎる車に儚さを感じた
 もろい現実は一本の蜘蛛の糸
 群がれ 蹴散らせ
 切れて堕ちてゆく
 逃げ込んだ夢の中 ひとすじの天の光
 手にとった光……【メジャートランキライザー】》

 誰の詩?
 何の詩?
 私の知っている人の詩?
 ピピピピ! ピピピピ!
 舞菜の携帯電話の、通話着信音がこっているがゆえに聞き分けがつくように質素にしているメール着信音は意外な事態だった。
 送られてきたのはテキスト文字で描かれた羽の絵文字(記号を組み合わせて描いた絵)と二つのカップのメール記号。
 送信者は『14番』、件名は『節制』とある。
 そして舞菜の翼が囁く。
『これはウイルスだ』と。
 戦線を離脱していた舞菜へとウイルスのほうからわざわざ訪れて来たのだ。
 ウイルスの言葉を聞けないからなんともいえないが、わざわざ訪れるということは、もしかしたらウイルスが自ら『テスタメント』に成ることを望んでいるのかもしれない。
《白い服の彼のため》
 そんな声を感じた。
 舞菜はウイルスの声を初めて聞いていた。
 体調は、なんとか回復している。
《我、聖杯から零れ落ちる命ヲ認めず》
 零れ落ちる命……って、無駄死にってこと?
 暗示めいた言葉に少し困惑したが、レーヴェンの言葉を理解する要領で解読してみる。
「それって、今の格闘漫画もどきを止めさせるってことデス?」
《然》
 レーヴェンと白服、二つの翼の戦局を見る。
 互角。
 レーヴェンも何発か強烈な攻撃を受けていた。
 そしてその攻撃を与えた、袖を通しただけのルーズな白い軍服の翼使いは――
「和泉くん?」
 拉致される寸前、教室を共にしていた頃よりかなり形相が違うが、間違いない。
《15番。最悪のウイルスに狂う彼のため、今14番はあなたの盾になる》
 その声と共にウイルスは自ら七色に輝く液体、『テスタメント』に成った。
 その様子に滑空するレーヴェンが叫ぶ。
「インストールしろ! 手に取れ!」
 インストールってナニ?
 疑問が聞こえたようにレーヴェンは再び叫ぶ。
「『武器化』以外のテスタメントの活用法だ!」
 わけがわからないが言われるままテスタメントを小瓶に入れず、手に触れた。
 テスタメントはまるで夏用ボディローションのようにすぅっと舞菜の全身に清涼感を与える。
 意識が完全に復活したのが分かる。
「よそ見をするなぁぁぁぁぁ!」
 指示の隙にレーヴェンの後ろを取ったシラサギが右腕一本で日本刀を鞭のように振り下ろす。
 ガスッ! ダン!
 上空20メートルでの斬撃を辛うじて防御して、しかしその威力によりアスファルトの地面へ叩きつけられるまで、およそコンマ3秒しかかからなかった。
 和泉が放ったのは剣道で言う片手覆い面。しかしそう呼ぶにはモーションがあまりにも大胆だ。
 空中で海老反りになり、しなる右腕と背と、更に腹筋を使って身体全体で一撃を繰り出していた。
 バレーボールのアタックのように。
 そうだ、たしかに和泉敬一は男子バレー部のエースアタッカーだった。あの背筋を活かした躍動は女子バレー部の舞菜も嫌でも覚えさせられた。
 なんで彼がレーヴェンと戦わなきゃいけないの?!
「トドメェ!」
 シラサギこと和泉は彼の最大の武器である右手の刀でワタリガラスの心臓を突き殺すべく急降下する。
「和泉!!」
 意識する前に舞菜は屋上から跳――飛び、二人の間に割って入っていた。
 今まで跳躍は出来たが、本物の鳥のように、彼等のように飛んだことなど舞菜には無い。
 だが飛んでいた。
《アルカナ14・セラフィム》
 心の中でテスタメントが呟いた。
 舞菜の背から淡い光でできた翼が伸びて舞菜を守るように『壁』を作る。
 ガードしようとする意思が自然に壁になる。
「君は……」
『壁』は和泉の刀の動きを完全に受け止めていた。
 そして、以前右腕を振り上げる彼と相対した、彼との学校での記憶を思い出す。
「男女対抗試合でアンタ顧問に怒られていたですね。『女子にマジで撃つな!』って」
 数少ない彼の記憶。
 和泉の右腕から放つスパイクが舞菜のブロックを貫いてリベロの女子の顔面に直撃し、彼女がうずくまって動かなくなってしまい、和泉がどうしていいのか分からず顧問の罵声も聞こえないほど呆然としていたという記憶。
 和泉の目を見る。
 状況的に気分はアタッカーがどこにスパイクを放つのか見極めるブロッカーだった。
 和泉の目はどこか虚ろで、こけた頬と蒼い肌が異様なほどに病的だった。
 何をしようとしているのか、どう攻撃するのか、まるで意思が読めないのでとにかく『壁』を展開する
 その瞳の焦点が一瞬舞菜に定まり、
「本気じゃなかったけど、タンカで運ばれるなんて……あれはホントに不注意だったよ。えっと、君は?」
 ネット越しでの暴発事故の記憶はあるようだが、なぜか彼は名を問う。
 そして記憶を巡らせているのか、また目を泳がせた。
「女子バレー部の椋木舞菜です。正気です?」
 その返答に和泉の目がぎょろりと睨み付けてきた。
 獲物を見つけたフクロウのような強烈な眼光。
 公式戦での彼の眼光と殺気めいた気迫の声は、後輩と女子には恐れられていた。
 他校ではそれがかっこいいというファンもいたらしいし、同じコートに立つ仲間は心強いと言っていたが、舞菜はやっぱり怖い。
「椋木、なのに、マイナ? 舞菜? ……ぁぁぁあああああああ!!!」
 和泉は壁に阻まれながら腕を横に薙ぎ、光の壁ごと舞菜を突き飛ばす。
「なぜだぁっ!」
 言動の意味がわからないが、弾き飛ばされる舞菜よりも速く和泉は迫り、右腕を振りかざす。
 舞菜は全力で壁を展開して自身をガードする。
 和泉の攻撃の翼と、舞菜が広げる翼の壁が拮抗する中、アスファルトのクレーターからレーヴェンが唐突に指示を出した。
「気付いただろうが奴は記憶が錯乱している。暫く時間を稼いでくれ。おまえなら出来そうだ。空間相転移の乱用で俺は今、動けん」
「無茶デス! 知らないかもしれないけどこのヒト――」
『本気になるとめちゃくちゃ攻撃的なヒト』と言おうとしたがそれをレーヴェンは遮った。
「強さは身をもって知っている。さっきはおまえが休んだ。男女平等だ。今は任せる」
 こっちもとんでもないことを言い出している。
 もう何が何だか舞菜までわからなくなってきた。
 かろうじて頭に引っかかっている『記憶が錯乱……』のくだりと、自分のことを和泉が忘れていることを思い起こして、彼の記憶を引き戻そうと試みる。
「市立風砂原(かすなはら)の主砲にしてキャプテン! 前衛レフトゼッケン4!」
 まずは先ほど動きが一瞬止まったバレー部での彼の過去を言ってみた。
 ビクリと和泉の右腕が硬直する。
 効果はあるようだ。
 が、眼光は変わらない。
「死ねェ!!」
「それはアンタが公式戦でスパイクを打つときの掛け声! 『気合いだけだよ、ボールで殺せるわけ無いだろ』って自分で言ったでしょ?!(本当は殺しかねない威力だけど……)」
 再び右腕を振るおうとする和泉から、注意しつづけたまま逃げる。
 何とか彼と距離を取ることができた。
 和泉は追って来ない。
「……ボールが、ないッスよ……?」
 ぼそりとそう言った。
 今までの眼光をどこにやってしまったのか、呆然と自分の手と周囲を見渡している。
 武器化していた日本刀のテスタメントは液体に戻っていた
 テレビのチャンネルが変わったように今までの攻撃性が無気力へと変わっている。
 こんな豹変のしかたは明らかに異常だ。
 ……もしかして和泉、拉致されたときの麻痺毒とかそんな感じの変な薬のせいで?
 よぎった妄想と、クラスメートの変わり果てた姿にぞっとする。
「ここは街中! バレーやる場所じゃないです!」
 つかず離れずの距離を保ち、何とか正気に戻そうと声をかける。
 しかし彼の瞳は虚ろさを増していた。
「華萌愛さん、スコアブック俺がつけるッス、先輩たちにドリンクを……」
 あ……
 すでにうわごとのような和泉の声に、舞菜は忘れていたことを思い出した。
「その人は佐伯華萌愛! 二年上の先輩で、卒業まで男子のマネージャーでした!」
 しかしこれは思い出したこととは別だ。
 アレを言うのは舞菜にはかなり気まずい。
 そして、注意しながら、しかし攻撃の意思が見えない彼に、口篭もらせながら、言った。
「和泉と付き合っていた……って噂、聞いたことあるです……」
 その言葉に生気の無い顔で、和泉はゆらりと舞菜のほうを向いた。
 何かを強く残し、それ以外の全てを失った、この世に残る亡霊のように。
「そ、して、君の親戚だった……どうしてあのヒトを見捨てたの?」
 生気は無い、だが彼の声には『心』がこもっていた。
「え?」
 佐伯先輩が私の親戚?
 ガスッ!
 痛烈な破壊音で和泉はアスファルトに伏した。
「時間稼ぎご苦労だった。騒ぎが大きくなりすぎた。撤収するぞ」
 レーヴェンが和泉の背後から忍び寄り、デスサイズの柄で後頭部を殴打したのだ。
「レーヴェン!!」
『白服』から『級友』に戻りつつあった矢先にこの仕打ちはひどすぎる。
 しかし彼はやはり無表情なままだった。
「少年少女はそれぞれの悩みを抱えればいい。俺は俺で苦労をこなし続ける」
 倒れた和泉を肩に担ぎ上げて舞菜に「行くぞ」と声をかけ、二つの大鎌をテスタメントの子瓶に戻して飛んだ。
 レーヴェン……
 この男は理解不能な奴だと前々から思っていたけれど『信用』に足りる人間なのか危ういのかもしれない……
 まるで和泉を連れ去るように飛んで行く黒いコート。
 和泉の最後の言葉が気になる。
 今は二人を追うしかない。
 舞菜はワタリガラスに不吉を感じつつも、その凶鳥に向かって飛んだ。

三章 テスタメント

 1

 舞菜は目を覚ますなり周囲を見てぎょっとした。
 金箔と漆で彩られた祭具の数々。
 ゆらゆらと揺らめく蝋燭の灯火。
 少しずつ覚醒に導かれる意識で、眠る前の状況を思い起こす。
「あ、そっか、神社に無断宿泊してたです……」
 レーヴェンと和泉を追った後、飛行や盾といった慣れない翼の行使で疲れて、うとうとと眠ってしまったのだ。
 二人は――
 神社の中を見渡す。
 和泉は、木の格子で封じられた多分この神社の御神体が収められているその傍に横たわって、眠っていた。
 レーヴェンは彼のそばに正座で座り、何か独りでぶつぶつ言っている。
 まるで何かの怪しい儀式のように、右手を彼にかざして現代国語ではない言葉を言いながら……
「な、何やってるです?!」
 あからさまな怪行動に二人に近づく。
「『2番』」
 舞菜には目もくれずに手をかざし続けるレーヴェンが別のほうの手をにゅっと出して、以前工場で手に入れた『2番』のテスタメントを要求した。
「何をしているの?! 答えなきゃ渡せない!」
 拉致されてから今まで非常識な事は山ほどあったが、人間相手にこんな儀式をすることなんて無かった。
 ましてやここにいる三人は翼使いだ。単なる『おまじない』で済む筈がない。
 助手にメスを要求する外科医のようにレーヴェンは手を出したまま答えた。
「とりあえずの応急処置だ。電気街のような精神状態ではまともにこいつの話も訊けない。今は俺の翼でこの男の意識を鎮静させているが、奴の錯乱した意識は半端じゃない。このままでは俺も持たん。テスタメントの力を借りる」
 テスタメント。翼に特定の効果を与える、翼で加工したウイルス。
 ウイルスを加工……?
「ワクチン代わりだ。インストールするとワクチンになるテスタメントもある」
 舞菜も思い出しかけていた大雑把な医学知識を理由にレーヴェンはずいっと更に手を伸ばす。
「狂った翼使いに最適なのが2番なんだ。悪いようにはしない。俺を信じろ」
 彼の言葉は今までのような指示やレクチャーではなく説得だった。
 無表情だが舞菜が抱く疑念は理解しているようだ。
 ベストのポケットから『2番』のテスタメントを取り出し、舞菜はそれをぎゅっと握りしめる。
「レーヴェン。あなたは何者?」
 多分、これが幾つもの疑問の根底なのだろう。
 舞菜と和泉が拉致される中《声》をかけ、誘導し、半ば済し崩し的に行動を共にしている黒コートの男。
 日常を奪われた舞菜に、翼使いとして生きる道をお膳立てした男。
 舞菜は彼の話に乗る事でしか白服から逃れられなかった。
 拉致された和泉が、おそらくしかたなく白服を着ているように、日常を失い路頭に迷った人間を巧妙に操っているのではないか、とさえ今になれば思える。
 もうわけがわからないままで居るのは嫌だった。
「やっと言ったな」
 自嘲するような発音でレーヴェンが2番を要求する手を下ろした。
「2番、この男を頼む。テスタメント・コード<VOID>、ビブロス・コード、炭酸リチウム六〇〇ミリ、ハロペリドール五ミリ。後は自分の判断で処方しろ」
 そしてまた意味不明の言動――
 だがそれには意味があった。
 舞菜の手の中にあった2番の子瓶が自然に開き、中のテスタメントの液が霧になって和泉にふりかかる。
「和泉は『2番』に任せれば安心だ。説明をしておこう」
 そう言ってレーヴェンは語りだした。

 以前にも少し触れたが、彼は技術者だった。
 元々留め鳥で白服と相対することもなかったらしい。
 とある企業で自動工作機械の制御プログラム言語開発を担当していたが、情報通信分野の反映と彼の実力を買われてソフトウエア研究施設に引き抜かれ、そこでコンピュータウイルスを駆逐するワクチンソフトの開発をしていた。
 日々新型のウイルスが出現するネットワークで、一つ一つのワクチンを作り上げていく。
 それが彼の仕事の第一段階だった。
 しかしプログラムはコンピュータ本体やオペレーティングシステムやネットワーク設備の進歩によって使用不可能になってしまう場合が多い。
 そして彼の所属する研究施設は営利目的の企業のような、新しいワクチンソフトを毎年販売して金を稼ぐような団体ではなく、ワクチン開発の理想は『新手のウイルスにも自己進化で対応できる恒久的にネットワークを防衛するワクチン』だった。
 その理想に基づいたワクチンの研究が彼の仕事の第二段階だった。
 研究の中で彼はひとつのアイデアを浮かべた。
 それが『ウイルスのようにネットワークを徘徊し、ウイルスだけ破壊するワクチン』だった。
 しかしプログラムのみでの自己進化には限界がある。
 だから彼はプログラムに自分の翼を吹き込んだ。
 プログラムなどの電子信号は簡単に人に聞こえる『雑音』にできるらしく、携帯電話などにも雑音として経由して徹底的にネットワークを防衛するワクチンに翼を込めて、彼は作り上げた。
 それが後に数十種に進化したテスタメントだ。
 だが、別の分野、医学でも同じようなことを考えた翼使いがいた。
 翼の力を使い、人の病原体のウイルスを模倣して生物に感染して、ヒトを治療する『伝播する雑音の翼』ビブロスを開発した医学者がいた。
 そのワクチンも生物ではなく、人の声門の振るえにまぎれた雑音という形で伝播する。
 完全に基本理念を同じくした『機械の薬』と『ヒトの薬』は電話回線で衝突することになる。
 二つの薬の進化は、あるときは舞菜に助力した『14番』のように互いの進化のために融合し、あるときは工場を暴走させた『2番』のように互いに敵とみなして侵食しあった。
 その結果無数のテスタメントとビブロスのほとんどは欠陥と暴走をおよぼして、人間にも機械にも害をなす『ウイルス』に成り果ててしまった。
 翼の力も持ち自己進化するウイルス相手ではパソコンに向かっているだけでは駆逐できない。
 そのためレーヴェンは研究施設を辞職し、以前はテスタメントとビブロスだった『ウイルス』を回収するために渡り鳥になった。
 そしてテスタメントとビブロスを造った二人は同じ孤児院で暮らしていた。
 多分基本理念が同じだったのはそこでの生活で考えることが似てしまったからだろう、と彼は言う。
「つまり、俺とそいつがウイルスについては元凶ということに成る。白服については知らんが、和泉のように翼使いが都合のいいように使われている例は山ほどある」
 そこまで話を聞いて、舞菜は質問の挙手をした。
「なら、ウイルスを加工したものは『テスタメント』じゃなくて、『テスタメントとビブロスの混合ワクチン』みたいなモノなんじゃないです? 何でテスタメントとしか呼ばないの?」
 その質問に「尤もな疑問だな」と呟いてから、レーヴェンは答えた。
「ビブロスの作者が加工したウイルスは、俺達の作り出すような混合ワクチンとは違う。混合ワクチンへの変換方法が俺の発案だから『テスタメント』で統一しているのだ。ウイルスから加工された『ビブロス』はいずれ会うことになるだろう」
「じゃあビブロスの作者ってヒトって――」
「う……」
 問答の最中に和泉が目を覚まし、身を起こした。
 座って話をしていた舞菜とレーヴェンを見るや身構えるがレーヴェンは臨戦体勢には入らない。
「待て、戦意は無い。思考はうまく動くか?」
 座したままレーヴェンは和泉へ向き直り、彼の目を見る。
 虚ろさは無い。攻撃性は多少あるが殺意にまでは高まっていない。
「……ああ。不思議なほどすっきりしている」
 戦闘態勢を解かないままそう答えた。
「悪かったが、眠っている間に血液から薬の成分を調べさせてもらった。結果、攻撃の翼を増強するために焦燥状態を強化させる違法薬物を検出した。無性にイライラしていたはずだ。渡り鳥に成ってから精神方面だけを学んだ闇医者だから信じるか信じないかは勝手だが、とりあえず話をするよりおまえなら心を読んだほうが早いだろう」
 座したままレーヴェンは静かに和泉を見つめる。
 和泉は睨むように彼の双眸を見据えた。
 暫しの沈黙。
「……おまえも、僕と同じ?」
 和泉の表情は驚きに変わった。
「俺の心を読んでも気絶しないあたり、かなり『イってる』だろうな」
 この問答の意味を舞菜は理解できなかったが、続くレーヴェンの言葉でなんとなく理解できた。
「翼を得てから精神に疾患を来たす例は珍しくない。正常でいられるほうが稀だ。留め鳥だった頃は医者通いの社会人だった」
 和泉は警戒を解いて、その場で座った。
 彼にとって二人が『敵』ではなくなったらしい。
 レーヴェンは「ちょうどいい」と、巨躯で隠れていたコンビニ袋から三人分の飲み物とパスタの弁当を取り出し、三人に配る。夕食だ。
「俺も箸は使えないのでな」
「なんだレーヴェンもなのか、はははは」
 寂しい声で和泉は笑う。
 ぎこちない手つきで二人がラップを……引きちぎる。
 初めて見るレーヴェンと、翼使いになってからの和泉の食事……
 プラスチックの使い捨てフォークを扱う手もやはり不自由そうだ。
 手を貸したくなる、が、舞菜は思いとどまった。
 あまり食が進む心境ではなかったが、舞菜は黙々と食事を摂った。
 レーヴェンや和泉も無言だった。

 飲み終えた缶とプラスチックの食器を分別して捨てたレーヴェンはおもむろに立ち上がり境内へと歩き出した。
「もう一仕事してくる」
 そのまま闇に融け入るようにレーヴェンの黒いサマーコートは消えた。
 空間相転移とかいう翼を使ったのだろう。彼の姿はもう近くには見当たらない。
 視線を和泉に向けると、彼は舞菜を見ていたらしく一瞬視線が合い、すぐさま和泉が目を反らした。
「……君たちの事情はレーヴェンの心を読んで理解させてもらった。たしかにウイルスは浄化の必要がある大変な病原体だ。それに彼は闇医者でも白服の軍医のように僕の『読心』を防御して悪意のある治療はしないから白服からは抜ける」
 レーヴェンのような無表情でそこまで言うと、頬の筋肉がぴくりと動いた。
 目が攻撃性を露わにして、口元に手を当ててつぶやく。
「およそ南方二〇キロから一個小隊を乗せたトレーラーが接近中……武装はサブマシンガンにグレネード。多分僕たちが狙いだろう。椋木!」
 名を叫び立ち上がる様は和泉が試合――死合いに向かう時と同じだった。
 学校で起きたことがもう一度起きようとしている。
 が、今は二人とも翼使いだ。
 和泉は対抗するつもりなのだろう
 和泉は攻勢の目のまま「動かせるかな」と呟いた。
 彼の右ポケットからテスタメントの入った子瓶がふわりと浮かび上がる。
「前より上手く翼を使えるみたいだ。2番はすごい……」
 その小瓶をふわふわと舞菜の手元に渡す。念動力のようなものなのだろうか。
「これは『剣のエース』。『2番』に比べたら汎用性の無いワクチンだけど、攻撃力は大きいから、もしものときは君自身を守って。あと、携帯を少し借りるよ。僕の端末の通信機能は登録を抹消されたみたいなんだ。白服も僕を裏切り者扱いしてくれている」
 同じように内ポケットから手帳と短いケーブルを念動で空中に導いた和泉は舞菜が渡そうと差し出した携帯電話に接続する。
 勝手に手帳と携帯の液晶表示が変化していく。
 和泉が思考して、操っているのだ。
「君の力を借りるよ」
 手帳の液晶パネルからテスタメントを浮かび上がらせた。
 ネット内で浄化してダウンロードしたのだろう。
 舞菜がもらった『剣のエース』が鳴動している。
「同類は惹きあうのかな?『二つの剣』だよ。剣のシリーズじゃ最弱だけど僕にはこれで充分だ。携帯ありがとう。あと止めてくれたりいろいろありがとう。ちょっと急ぎだから伝えたい事は言葉じゃなくて翼で伝えるよ」
 すっと和泉は舞菜の瞳を見つめた。
 今回は反らさずにしっかりと彼女の双眸を見つめ、そして翼で語る。
 レーヴェンの《声》とは少し違う、受け手の感受性を無視して響く清冽な意思の感覚――

 学校で僕たちを狙った拉致事件、あれが翼使いを標的にしてたくさんの場所で行われているのは知っているだろうけど、『完全な健康体として翼使いに成れた者』が拉致の本命っていうのは知らないみたいだね。
 翼使いは大別して二つある。
 先天性の翼使いか、もしくは『ウイルス』の発病者だ。
 レーヴェンは先天性だし僕は後天性だ。
 どちらも普通は病気持ちみたいだね。
 翼を得る代わりに何かが壊れてしまう。
 機械が発病したときにプログラムを書き換えて暴走するんだから、僕が発病したときに心が壊れてしまったのも同じようなものだったのかもしれない。
 だけど君は健康体のまま翼使いに成れた。
 それと同時に白服が翼使いを狙う『本命』に君は成ってしまったんだ。
 健常な翼使いは普通の翼使いよりも強い翼を持つ。
 僕の全力の攻撃を君が完璧に防いだように。
 そんな強力な翼使いを『白服』は欲しがっている。
 軍と別行動で治療をしているキグナスという翼使いはそんな健常な翼使いのデータが取れれば他の翼使いの治療手段も見つかるかもしれないと言っていた。彼だけは悪意のない治療をしていたよ。
 とにかく、今回の襲撃の標的は君を捕らえることだろう。僕の処遇云々は二の次だ。
 君は後衛で自分を守ることに専念して。君の防御力なら大丈夫なはずだから。
 僕が前衛に立って白服を止める。
 これが、殺そうとしてしまったせめてものお詫びだ……

 翼の言葉を終えて、宙に浮かぶテスタメントを和泉が取る。
 二人の知識では理解不能な能力を持った混合ワクチンが二振りの諸刃の剣になる。
 迫って来るトレーラーのディーゼルエンジンの音で和泉は外へと歩を進めた。
 社から出る寸前、和泉は後衛を任せた舞菜に普段の声で訊ねた。
「君の心は読んでないから言葉で訊くよ? 食事のとき悲しそうにこっちを見ながら黙って食べていたのはなんで?」
 戦闘はすぐに始まる。だから即座に答えた。
「手を貸したらあんた達の事を『不自由だ』って見下しているように思ったから」
「ありがとう」
 和泉がすぅっと息を吸う。
 トレーラーの油圧シリンダーがドアを開こうとしている。
「行くぜ!」
 これは和泉が、開戦の鏑矢を放つときの掛け声。
 人格が一変したように攻撃の矢になって和泉はトレーラーを襲う。
『二本の剣』。その諸刃の二振りの剣を左右に持ち、未だ全開しないコンテナ部分を破砕する。
「武装集団は常人――だけど!」
 破砕の衝撃と崩れたコンテナの下敷きになり気を失った常人たちはそのままにして、トレーラーの運転席に攻撃を仕掛ける。
「運転手は翼使い。こっちが刺客の本命、先手必勝!」
 彼の得意球技でのモーションを剣戟にして、斜め十字に二発同時攻撃。
 次いで双の剣を、背筋を十二分に使った躍動で切り上げる。
 その勢いで大上段まで振り上げた彼の最大の武器である右腕を振り下ろす!
――幸せになりたい――
 右腕は硬直した。
 和泉が切り裂いたトレーラーの鉄礫を、中にいる翼使いの翼が払いのける。
「華萌愛、さん?」
 闇さえも飲み込むような艶やかな黒髪。
 女性用の白い軍服に包まれた肌は、陽光を知らないように軍服よりも白い。
「ケイイチ……」
 すっと彼女の右掌が和泉の頬をなでるように差し伸べられる。
 左の掌はリモコンらしきスイッチを押そうとしていた。
 本能的に危険なものだと察知して、問う前にそのリモコンが何なのか華萌愛の心を読んでいた。
『自動車爆弾の起爆スイッチ――!』
 タン!
 後衛の舞菜が跳躍していた。
 剣のエースを武器化しながら華萌愛の頭上をすでに取っていた。
 日本刀を利き手の左手に持ち、彼女に振り下ろす。
「ニセモノは黙ってて!」
 剣のエースの峰で、背後を殴打した。
 和泉はぎゅっと目を細めて、暫くして少し華萌愛に似た黒髪の翼使いが一二、三歳の女児だということ確認すると、
「幻影か……すまない、良いバックアタックだったよ。爆弾の信管を抜くから一旦後衛に戻って」
 言った通りに和泉はトレーラーに据え付けられた爆弾を無力化させて、瓦礫の下で伸びている武装集団の武器と、胴体に巻きついている爆弾も処分。
 逃走手段を奪うためにトレーラーの駆動系も破壊しておく。
 和泉は心を読む翼も白服全員に使っていた。
 武装集団の方は初陣の人間がほとんどだ。
 舞菜が健常な翼使いであるということは知られていないらしい。
『シラサギ少佐』殺害が襲撃の目的だが、彼が相手では通常武装での殺傷は不可能。
 そのため人間爆弾と言う手段を取らされ、その作戦を甘んじて受けるように、兵士達には恐怖心や自主性を消失させるような投薬が施されている。
 少女のほうは今までの洗脳の結果そんな投薬が必要ではないようだ。
 和泉は手帳を取り出した。
 彼等の洗脳を浄化できるワクチンを和泉は自身に投与されたばかりだ。
 彼らにもこれを使い、この集団の精神面をケアするつもりなのだ。
 手帳型端末を取り出す。
「2番、手帳の空き領域にコピー。必要なだけ増えたらこの集団の洗脳を浄化してくれ」
 レーヴェンが投与したワクチンはウイルス同様電子情報にも成る。この状態ならばテスタメントの増殖も可能なのだ。
 レーヴェンの心を読んだついでにそんな実技も読んでおいた。
 そのまま和泉は、全壊したトレーラー全体への注意を怠らないまま『もしも』のために、武器が無くても戦える翼使いの女児に、攻撃の手が届く間合いぎりぎりに引き下がる。
 下がりながら端末のデータの中からこの女児を検索した。
 彼女は翼使いであることが原因で孤児となり、今までの生涯を白服で過ごしているようだ。出生に関する情報の後は洗脳と調整のデータがずらりと並んでいる。
 和泉は渋面した。
「『白服』はひどい所だ。椋木じゃなく僕が拉致されたのは不幸中の幸いだったと思っていたけど、やっぱり可哀相な子はいるんだな……」
 女児は投薬ではなく『洗脳』により幻を作り佐伯華萌愛を演じて、和泉を殺すように意識に『書き込まれて』た。シラサギ時代の和泉も味わったが、能力開発や洗脳調整はあの年頃の女の子にはとんでもない仕打ちだ。
 洗脳の内容については同じ経験者として口外することは決して無いだろう。
 しかし引っかかることがある。華萌愛の名前は『シラサギ』がうわごとで叫んだことがあったから知っているだろうが、なぜ姿まで幻を造ることが出来たのか。
 この少女にも心を読む翼があるのか……?
 僕の心を読んで幻にしたのなら合点が行くけど……
 しかし端末のデータには彼女に心を読む能力があることは示されていない。
「楽にしてあげて」
 女児の心の中で声が聞こえた。
 彼女の記憶の中にある会話の声だ。和泉にとって懐かしい声でもある。
「あの壊れちゃった少佐さん?」
 女児は無邪気に聞き返す。
「そう。私の亡霊に苦しむ少佐さん。私はもう幸せだから、彼が苦しむ必要は無いの。彼を、殺して」
 諭すように女児に言い聞かせているのは、先ほど幻で見せられた佐伯華萌愛本人の姿だった。

「とりあえず『今帰った』と言っておくが……」
 東の空に光が見え始めた頃、空間相転移で唐突に戻ってきたレーヴェンはそう言っていぶかしげに全壊したトレーラーを見渡した。
 空間相転移の異様な翼にたたき起こされたのか、女児はビクリと立ち上がり臨戦態勢につく。が、その頭を和泉が押さえつけるようになでて止めた。
「まあ、落ち着いてよ。殺したりひどいことをするつもりはないから。二人もちょっと僕に任せて」
 和泉は舞菜とレーヴェンにそう頼んだ。
「シラサギ少佐……!」
 女児が攻撃の翼を使おうとした……のだろうがそれは不発だった。
「そう。壊れちゃった少佐さんがちょっとだけ正気に戻ったんだよ。上手く手を動かせなくても、頭をなでて首を吹き飛ばしたりしないでしょ?」
 少女はわしゃわしゃと乱暴に頭をなでくり回されて意識が集中できないらしい。
 多分、幻影などの翼は周到に準備しなければ使えないのだろう。
「鶴来千鳥(つるぎ・ちどり)伍長だよね。気分はどう?」
「身体に打撲一箇所。神経伝達系に異常なし。ただし現状況において理解不可能な個所多々あり。対処法、マニュアルになし」
 この反応、まだ軍の洗脳が残っているのか……でも、僕を完全な敵と認識していない。
 いきなり2番が作用して混乱しているのか?
 なら、嫌だけど、嘘も方便って言葉を信じよう……
 そう決心して、和泉は一回咳払いした。
「オーケー。『検査合格』だ。戦闘プログラム解除。次のミッションの通達に入る」
「了解!」
 身を正して敬礼する女児に、不穏なものを覚えて舞菜が一歩和泉に寄ろうとしたが、レーヴェンが止めた。和泉に任せるつもりらしい。
 和泉は上官そのままに命令を下す。
「以降戦闘プログラムの発動は命の危険がある場合に限定して許可する。軍用情報機器の使用を一切禁じ、携帯しているものは破棄を命じる。この状況下でシラサギ少佐よりの別命あるまで自由行動を行うべし。このミッションは軍では特別な行動であり、他の上官の発言は効力をなさず、また、社会的犯罪を起こした場合でも軍は情報操作を行わないので社会に適応した行動を行うように。これが君への最後のミッションになるだろう。『一人の翼使いとして生きろ』」
「了解。只今より、最終ミッションを開始します……」
 復唱を終えると少女はぺたんと腰を下ろしてしまった。
 回りくどいやり方だが『軍を抜けても良いんだよ』と、洗脳を無効化させる後押しをしたのだ。
「お疲れ千鳥ちゃん。立てる?」
 迫真の演技を終えて和泉は千鳥に手を差し伸べた。
 後は時間が経つに連れて2番が洗脳を解いてくれるだろう。
 千鳥はまだ呆然と座っている。
 和泉は彼女の手を引き、立ち上がらせて訊ねた。
「レーヴェン。場所を移したほうがいいよね?」
 散乱した鉄の瓦礫と化したトレーラー。そこに下敷きになった五人の戦闘服の男たち……
「当然だ。そろそろ消防と警察が来る。翼使い以外は足手まといだ。彼等は警察に任せる。飛ぶぞ」
 レーヴェンはさっさと飛んでしまい、舞菜は『剣のエース』を小瓶に戻して、和泉は千鳥を抱えて、飛んだ。

四章 一里塚

「その『玉子』は温めても孵らないんだよ」
 おばあさんがやさしく諭したのを今でも覚えている。
 取り出されたパック詰めの鶏の卵。電気毛布と発泡スチロールの箱……
 生物学も医学の生と死の定義論争も知らない小学校三年の秋。
 図画工作程度の羽化施設。
 孵ることのない卵。
 それでも試した。
 誕生を願った。
 きっと生まれるよ――期待。
 生まれないって言ってたよ――不安。
 本当に生まれないの?――焦燥。
 二十日間監視し、守りつづけたモノに生命が無いと気づいた時、私がおばあさんに訊いた言葉も、覚えている。
「なんでヒヨコになれないたまごが生まれなきゃならないの? たまごのままじゃなにもできないよ、たべられちゃうだけだよ……」
 空しかった。
『生きている』と『生きていない』『死んでいる』が分からなかった。
 泣きそうに、成っていたのかもしれない。祖母がぎゅっと舞菜を抱きしめた。
「優しいね舞菜は。でもだからこそ『翼』を持って生まれた者は一生懸命翼を広げるんだよ。それが飛べない鳥であってもね……それに舞菜――」
『あんたは飛べる鳥であり、渡り鳥なんだよ』

 懐かしくも、寂しく、現在が脚色された夢。
 翼使いとして流れる日々で寂しくない日はなかった。
 だけど今の夢は少し違う。
 難問なのだ。たぶん、物心ついたときから最初の。
 生きていると生きていない……
 その言葉に、宿に来るまで終始和泉の腕の中で、まるで抜け殻のように呆然としていた千鳥の様子が気になった。
 身元不明だった千鳥は乳児の段階から洗脳教育を受けていたらしい。
 和泉は、鳥の名を姓と名の両方に持つ事は白服内部では強制的に人格を『上塗り』された証あると言っていた。
 闇医者のレーヴェン曰く、洗脳で操り人形にするような白服の『糸』が2番と和泉の嘘の命令によって切れた状態に成ったらしい。
 本来の人格は時間と共に徐々に取り戻すらしいが、少し心配だ。

 昨夜の宿は最近良くある建売一戸建てだった。
 普段は無人の、渡り鳥たちが建てた隠れ家だそうだ。鍵は当然レーヴェンが持っていた。
「安眠をプレゼントしてくれたベッドには感謝しなくちゃです」
 なんとなく降りたベッドに手を合わせてみる。
 手を合わせるより布団を干したほうが良いかな? ゆうべは布団乾燥機だったし……
 やっぱり布団はお日様の香りが一番、と今夜は眠らないだろうが次に来る渡り鳥のために一枚布団を持ち上げて縁側のサンダルに足を突っかけて、物干し竿に布団を広げる。
「おはよう。のんきな朝は久しぶりだな」
 いつ眠っているのか分からない生活習慣を持つレーヴェンがパックの牛乳を吸いながら門から入ってきた。もう片方の手にぶら下がった袋は弁当ではなく食材だ。
「元白服の二人はどうしてるです?」
「俺が目覚めたときには眠っていたようだ」
 ……一応レーヴェンも眠っているですか。
 もしかして眠らなくても大丈夫な特異体質じゃないかと思っていたけど、読みは外れたです。
「朝飯を作るから二人を起こしてくれ」
「レーヴェンが? 機械油の味とかしないです?」
「安心しろ。渡り鳥のコックに衛生管理から味の奥義まで徹底的に教わった」
 やっぱり芸達者な黒服です……
 思いながら家に入り、スリッパをパタパタ鳴らしながら廊下を歩く。
「うー、ううーん」
 和泉の部屋からうめき声がする。
 即座にドアをノック。
「和泉くん? 大丈夫?」
 暫く声をかけて、
「う?……はっ! だっ、だだだだだ大丈夫!」
 そんな返事が来た。
 全然大丈夫じゃなさそうだけど、男の子の寝室に入るのは気が引けたので千鳥ちゃんのほうの様子を見に行く。
「千鳥ちゃん、朝です〜」
 深刻になっても仕方がないので舞菜的に普通に朝の挨拶を投げかける。
 しかし何の反応も無い。
 昨日の呆然としていた様子では反応も無いのだろうかと、とりあえずドアを開ける。
 ベッドを含む部屋のどこにも彼女はいなかった。
 なんだか和泉のあわてかたが気になってきた。
「まさか……」
 不埒な想像で急いで和泉のドアまで走る。
「和泉! 和泉っ! あんたもしかしてぇ!」
 勢い余ってドアも全開。
 そこで舞菜の目に映ったものは……
 和泉の眠るベッドの上、そのかけ布団の上で、布団ごと和泉を抱きしめて眠っている千鳥の姿だった。
 和泉が苦しんでいたのはこのボディプレス状態のせいだったようだ。
「しけんー、けんさー、もぎせんとうー……」
 寝言を言いながら和泉の布団の上をごろごろ転がる。
「そんなのもうないから起きてくれー」
 和泉の切実な言葉で「むにゃ?」と目をしばたたかせて千鳥は目を覚ますと、きょろきょろと周囲を見渡して、真下にいる和泉と目を合わせて、飛びのいた。
「千鳥ちゃん……どうしてここに?」
 舞菜の質問に和泉も頷いている。
「あの、レーヴェンさんからもらった眠剤を飲んでもあまり眠れなかったので、レーヴェンさんの所におうかがいしたのですが『これ以上飲むと子供の体に悪い。安心できる奴を抱き枕にすれば眠れる』というわけで、少佐ぐっすり眠ってたし、おじゃまにならないようにーって」
 あのやんちゃ大人は相手をわきまえないのです? と舞菜は頭を抱え、和泉は道徳的なものは一切教えない軍の教育課程を思い出していた。
「千鳥ちゃん、男の子の寝床に忍び込んじゃいけません。その他諸々の女の子の何たるかは椋木に教えてもらってください」
 元白服の先輩としてそう忠告した。
「きょ、教練ですか? 体ばつありますか?」
 千鳥は舞菜と和泉を交互に見て涙を浮かべている。
「無いから泣かないでよ。もう軍とは事実上無関係なんだから、ね?」
「はぁい」
 安心したような間延びした返事で、苦しい眠りから覚めた和泉は起き上がり、洗面所へ向かおうとした。
 はしっ。
 だらだらとドアへ向かって歩く和泉の手を千鳥がつかむ。
「あのー、千鳥ちゃん?」
 舞菜と和泉の異口同音の質問に、千鳥は蚊の鳴くような声で答えた。
「どっかいっちゃいや……」
 もはや幼児の反応だ。
 過ぎた不安でもある。
 が、病気や白服が今まで彼女に与えた洗脳の類ではない。それらなら2番がフォローできる。
 この反応は千鳥の本来の心と言って良いのだろう。
 軍人じみた言葉遣いはマニュアルによって演じることを強要された付け焼刃だ。
 そして本来の心は発達すべきものと対面することもなく今まで過ごしてしまった。
 白服の情操教育の不備に和泉は怒りを覚えるが、それよりも彼女が上手く社会経験を積める場所を手配しなくては……というか、実はそのアテはある。
 遠いのでここで一泊しているのだが、そんな場所をレーヴェンが案内してくれるらしい。
 華萌愛が白服に属していると彼女の精神を読んで知った今、レーヴェンや舞菜と行動を共にするのが和泉にとってベストだが、この心が未発達な女児の行く末は心配で仕方がない。
「僕は顔を洗って歯を磨くけど。千鳥ちゃんも来る?」
「うん!」
 ……すっかりなつかれちゃってるですね……
 洗面所に向かう二つの背中を成り行き上見送る。
 ……何か忘れているような気がするです。
「朝飯が出来たぞ」
 キッチンからの声で舞菜は思い出して、玄関からスリッパを一つ取り出す。
 舞菜がキッチンに入るなり、パコーン! といういい音がレーヴェンの後頭部から鳴り響いた。
「痛いぞ。それに味噌汁がこぼれる」
「健全な女の子に何やらせてるです!」
「健全なスキンシップだ。彼女にはそれが必要だったし、一日に二度も戦闘を行った和泉に邪な感情が芽生えるような余裕は無い。ほれ、とある技で骨を抜いた鮎の塩焼きだ。配膳してくれ」
 その説明に唖然としていると、和泉と千鳥もやって来た。
「あ、僕も手伝うよ」
「あたしもー!」
 感情を表に出せば出すほど千鳥は幼くなっていく。
「じゃあ和泉は味噌汁の盆を頼む。千鳥は箸を並べてくれ。俺は飯をよそる。舞菜、スリッパを戻すのを忘れるなよ」
 かくして翼が関わっていなかったら完全に赤の他人の四人が一つ屋根の下で食卓を囲む。
 ここで舞菜に少し疑問が生まれた。
「みんなお箸使えるの?」
「魚の骨も取り除いてあるし、行儀が悪いが刺せば食えるメニューにした」
「見事に骨が無いね……どうやったんだいレーヴェン?」
「テレビでやっていたのを真似てみた。俺たちには重宝するな」
「サクむにょでおいしーよ、しょーさ!」
「変な擬音使わないの。それに少佐じゃなくて和泉敬一。ホラ、あごに味噌汁がたれてる」
「んー?」
「あー、服で拭かないで、ティッシュ、ティッシュ!」
 和泉は見事に保護者代行をやっていた。
 この男って、部を育てる時は厳しくて後輩に恐れられていたけど、基本的に面倒見のいいやつだったですね。
 と思いながら、舞菜は箸を利き手の左に持って苦闘していた。
 さく。
 ポロッ……
 さく。
 ポロポロッ……
「うう。このお箸、ご飯に嫌われてるです……」
「椋木って、たしかこっちの国に戻って来たのは」
「高校進学と一緒にです。お箸歴も二年ちょっとあるのに、このありさまです……」
「試練だな」
「そうだね。僕等も見下したりしないから頑張って」
「むくのきおねーちゃんがんばれー」
「ううっ、善処するです……」

 舞菜が半分ご飯を食べ終わる頃には他の全員が朝食を終えていた。
 レーヴェンが以前神社を空けた『もう一仕事』の話に移るのはそんな頃だった。
「和泉、話がある。千鳥をちょっと舞菜のほうにやってくれ」
「わかった。千鳥ちゃん、椋木おねーちゃんの応援していてちょうだい」
「あーい」
 二人を食卓に残して、男二人はレーヴェンが寝室として使っていた部屋に入り、早速話を切り出した。
「佐伯華萌愛のことだが」
「白服にいるんだね?」
「そうだ。その事の経緯に関しての情報提供だ。
 舞菜や華萌愛の血統は、ウイルスの発病ではない先天性の翼使いが多い。
 二人の祖母に当たる翼愛(つばめ)ばあさんが強力な渡り鳥達を警備に募って、身寄りの無い若い翼使いや年配者のための養老孤児院を運営している。
 そこがこれから千鳥を預けようとしている場所であり、舞菜が普通の翼使いだったら行く予定だった場所だ。俺はそこのOBでもある。
 華萌愛の母も翼使いだったが留め鳥だったので普通に暮らしていた。
 だが彼女の持病は特殊で、現代医学では原因不明だった。
 精密検査の結果が病院に残っていようものなら白服はそれを翼使いの痕跡だと嗅ぎ付けるだろう。
 だから保険が降りない東洋医学の小さな診療所で自分の健康を保つために金を自腹で払い、その結果で借金が積み重なった。無論障害者認定も受けずにいた。
 金銭面でのトラブルが華萌愛の両親の離婚の原因だということはおまえの方が良く知っているだろうが詳細はこうだった。
 そして華萌愛にも翼使いの資質がある事は親戚の大人、特に留め鳥の大人は全員知っていた。
 翼使いとして華萌愛が日常と決別する日を考えて、大人たちはその別れの時を子に知らせないように、舞菜のように華萌愛が親戚であることは伏せていた。
 舞菜は健常な翼使いだったせいか、資質があるかどうか分からないままで、同年代の親戚に顔は知られていたそうだ。それが人づてに華萌愛だけが舞菜を親戚だと知った原因だろう。
 華萌愛の母の失踪を機に、親戚の留め鳥は華萌愛の安全のために翼愛の所に行くように勧めたが、彼女はその申し出を蹴った。
 結果、おまえが知るように彼女は住み込みの働き口を得て、半年後『失踪』した。
 白服の襲撃はなかったらしいが、失踪前に隠れて白服と談合していたような不信行動のフシが当時住み込んでいた家の人間の『心から読めた』。
 そして現在彼女は白服に席を置いている」
「……つまりは、レーヴェンが舞菜とコンビを組んだのと同じように、キグナスが華萌愛とコンビを作っていたわけだね。キグナスがビブロスの作者なんでしょ?」
「そうだ。あの男が俺と同様『元凶』の片割れだ。調べて来たことは以上だが、千鳥と一緒に残るか?」
「翼愛さんのところの警備は固めたほうが良いと思うけど、白服の詳細を一番知っているのは僕でしょ? キグナスや華萌愛が何を考えているのかは知らないけど、白服なんて組織は無いほうがいい。千鳥みたいな被害者は最小限で食い止めたい。だから同行させてもらうよ。『僕じゃ足手まとい』って事はないよね?」
「ああ。確かにおまえは頼りになる。だが、万が一華萌愛やキグナスに感化されるようなら、今度こそどちらかの息の根が止まるまでやるか」
「感化されるような事をしてないよ彼等は。でも、軍とも話し合いだけで事が済めばいいのにね」
「……おまえ、攻撃に出る瞬間までは至って平和主義者だな」
「部長とかエースアタッカーは立場上みんなの気分を攻撃的にさせるだけのムードを作る演技が必要だったんだ。指揮官の真似事が出来たのはそのせい。『役にはまる』のがいつのまにか得意に成ったんだ」
「生き延びるには良い技能だ」
「そうかもね」
 そうおざなりに答えて和泉は大きく息を吐いた。
「僕がこれから調べようとしていたこと、全部やられちゃったかな……」
 遠く、どこかを見つめるようにして和泉は呟いた。
 その様子にレーヴェンの表情は変わらない。というより『変えられない』ことを和泉は以前心を読んで知っていた。
 自分よりかなり重い症状をワクチンや投薬などさまざまな手段でねじ伏せて今のレーヴェンは行動している。
 二度に渡る殺し合いから今回の情報収集まででもかなり疲労がたまっているはずだ。
 崩れ去ってもおかしくないところで辛うじてつなぎとめて為すべきことを為そうとしている。
「だが俺の翼でも分からなかったことがある。華萌愛自身の意思がなぜ白服へ動いたのか。それはおまえの目で確かめてくれ」
 和泉の瞳が陰る。
「なんとなくわかってるんだよ、それは。彼女とは終わってる僕の言葉で今更彼女の心が動くはずがないこともね。一言訊きたいだけだよ」
「そうか」
 ダイニングのほうから千鳥の歓声が聞こえてくる。
 どうやら舞菜が食事を終えたようだ。
「学校で拉致されたとき《声》が聞こえたのに麻痺毒で翼を使えなかった。ちょっと悔しかったよ。『切り札』と話を代わろうか?」
「舞菜は切り札ではない」
「僕にとって君たちコンビはどっちも『切り札』だよ」

 和泉は部屋を後にして、交代でレーヴェンの部屋に舞菜が誘導されて来た。
 華萌愛に関する報告や舞菜にとっては母方の祖母・翼愛の養老孤児院についての説明も和泉と同じだ。
 ただ、舞菜が知らないレーヴェンのかつての友・キグナスが白服の筆頭であることはここで伝えた。そこに華萌愛がいることも。
 知っている全てを伝えた上で、舞菜に翼愛のところに残るか、白服との決着へ共に赴くかを問う。
「まだ一つ話してないことがあるですね?」
 舞菜はそう返してきた。
「いくら『五体満足な翼使い』でも、それを戦闘力にできないような私を誘うからには何か理由があるんでしょ?」
「そのとおりだ」
「そのために貴方はできる限りのヒントを『渡りのコース』で教えた」
「まったくだ」
「そして、これは和泉に訊いたことだけど、キグナスは白服にいるけど軍とは別の存在。洗脳は彼の仕業じゃなく、彼は翼使いの治療に専念している。……できるなら白服から抜けてもらいたいんじゃないです?」
「そこまで分かっているなら言うまでも無いな」
 ぽん。
 レーヴェンは一個の電子手帳を渡した。和泉が持っているようなものであり、電気街で買っておいた物だ。
「こいつにはワクチンプログラム『テスタメント』の原本と、採取できた七八種類の『ウイルス』についてのデータが入れてある。勝手な事とは承知しているが……見つけてくれるか?」
「訊くまでもないです」
 舞菜は左団扇よろしく電子手帳で笑む顔を煽った。かと思うともう片方の手でレーヴェンを指差す。
「レーヴェンの翼、強すぎて限界なんて有るのか分からないけど、人間なんだから忠告しとく。『無理は禁物です』」

 素直に感服するほかに無いだろう。
 舞菜の小さな背中を視界から閉ざしたドアを見つめたままレーヴェンは心の中でひとりごちた。
 ウイルスと化したテスタメントとビブロスが世界に撒き散らされてから、『翼』をめぐっての闘争は激化していた。
 原因は先天性の翼使いというものは非常に稀有であり、『ウイルス発病者』の翼使いが多く出現したためだ。
 彼等の症状である『特殊能力と体機能障害』を研究する白衣の科学者たちと、それが科学のみで解明されることが無いことを知っていたレーヴェンが対立する場面はいくつもあった。
 全ての元凶であるがゆえに凶鳥を名乗って黒服を纏い、『白』の注意を自分に向けさせていたのは、いろいろな場面で役に立っていた。
 それが今の、翼愛のような黒い翼を持つ鳥の名を名乗り、翼使いたちが平和に暮らすための施設との人脈を深めもした。尤も翼愛とはそれ以前から交流があったのだが。
 彼女たちの助力があれば翼使いが渡り鳥でいつづける理由は『白服』以外に無い。
『白服』さえ叩けば渡り鳥たちは、病んで疲れた翼を休めることができる。
 だが『白服』の筆頭も自分と同じく『元凶』だ。
 ビブロスを造り、白衣を纏う医師の翼使い。
 奴は、また同じような手段で全く異なることを画策している。
 奴にとって自分がそうであるように。
 発病者の症状軽減を目的としたウイルスのワクチン復元をするレーヴェンと、完璧な治療方法の模索のための生贄として軍に数名の翼使いを謙譲するキグナス。
 似て非なる理論と力はどこまでも互角。
「全く以って腐れ縁だ」
 孤児院で寝食を共にしていた頃から非常に似通った全く違う夢を見ていた。
 黒い翼は人の悪意で病んだ機械を、白い翼は自然の脅威で病んだ人を。
『救いたい』
「いつか見た夢には超えるべき日がある」
 二人の夢がウイルスとして停滞してからどれだけの時間が経っただろう。
 今は止まった時計の竜頭を巻こう。
 それを手放して秒針が動く日は近い。
 レーヴェンは立ち上がり、竜頭を巻く時間を得るために部屋を出た。
 その時間が彼にとって凶器である事を知らずに。

五章 二組の群れ鳥

「大丈夫なのか、自動車なんか使って?」
 レーヴェンが運転するセダンの後部座席から和泉が訊ねた。
 そのセダンは昨晩の宿、渡り鳥の隠れ家に置いてあったものだ。
「もしもの場合、神社で千鳥を感じ取れたおまえの索敵能力に期待しているが、大丈夫だ」
 幾度もうねる山道をセダンは登っていく。
「確かに戦車が先の道を閉鎖していたり軍用ヘリが待機していたりってのはないけどさ」
 納得しかねる和泉を黙らせるためにレーヴェンが口を開く。
「黒い翼の領空圏内だからな。安心して女二人と一緒に楽にしていろ」
 助手席に座っている舞菜は電子手帳でmp3プレーヤーからの音楽を聴きながら鼻歌交じりに手帳の本文を眺めている。
 その後ろの座席の千鳥は舞菜のリズムに乗りながら助手席に抱きついて、峠道のコーナーが迫るとオートバイのようにハングオンして遊んでいる。
 単なる遊びのように見えるが、千鳥のハングオンはなかなか様になっている。
 年齢的に絶対に無免許だが、運転技術は教わったのだろう。
 おそらく陸海空全ての乗り物をそれなりに扱えるはずだ。軍用だろうが。
 能力に乏しく障害の弱い白服の翼使いは大抵そんな教練を受けている。
 現に彼女は神社に現れたときにはトレーラーを運転していた。
 和泉は千鳥に何か言おうとしたが、セダンがわき道に反れたのでそれをやめた。
 レーヴェンの駆るセダンがわき道の『私有地につき無断立ち入りを禁ず』という立て看板と、開いたままの有刺鉄線がある鉄の門をすり抜けていったからだ。
 物々しいとまではいかないのだが、たくさんの翼使いの気配を感じて和泉は思わず臨戦態勢につこうとしてしまった。
 千鳥も気配に反応したのか、和泉の顔を不安げに見上げている。
『僕も千鳥のこといえないのかもね……。たった一月だったのに白い傷痕が残ってる』
 和泉はそんな暗い感想を心の中にしまって、「大丈夫だよ」と千鳥にもそうさせるように自分の肩の力を抜いた。
 未舗装の林道を抜けるとコテージが立ち並ぶ一角が見えて来る。
 敷地は、学校の野球グラウンドに換算して7〜8面ほどとかなり広い。
 その敷地の半分にコテージが並び、もう半分はグラススキーができそうな斜面のある草原と、ちょっとした丸太のアスレチック場や休憩所がある。
 近くにある駐車場に車が停まる。
 一見避暑地のレジャー施設に見えるが、それは偽装であり、一年中ここで暮らす子供たちのための遊び場なのだろう。
 ここが舞菜や華萌愛の祖母が運営する翼使いの養老孤児院。
 戦うことも逃げることもできない雛鳥や長い渡りを終えた老いた鳥たちを白服から匿う生活支援施設。
 全員車から降りる。
 四人を出迎えたのは盛大な蝉時雨だった。
 自動車でずいぶんと山を上ったので、軍服を捨てて行きがけの店で適当に買った半そでシャツ姿の和泉は少し肌寒く感じた。
 同じ成り行きで半そでシャツ姿の千鳥の方はそれどころではないらしい。
 両耳を手で押さえて和泉に訊ねている。
「な、ナニこの音?」
「セミの声だよ、セミ。たくさんのね」
 両耳を塞いだまま千鳥は首をかしげている。
 小さな足音がして、二人の話に一人の老女が割って入ってきた。
「お嬢ちゃんはセミを見たことがないのかい?」
 千鳥は反射的に頷き、和泉はここの関係者なのだろうと思って会釈。結局どちらも頭を下げていた。
 頭に手ぬぐいを巻いて、手で持った『ミ』に刈った草と鎌を乗せている老女。
『ミ』とは両手で抱えるくらいの大きさの大きなちりとりのようなものだ。
 老女はどこから見ても縁側で日に当たりながらのお茶と漬物が似合いそうな、典型的な田舎のおばあちゃんだった。
 彼女にレーヴェンが挨拶した。
「久しぶりだな翼愛さん。相変わらず達者で何よりだ」
「まだまだ働き盛りさね」
 翼愛は『ミ』を下ろして頭の手ぬぐいを取ると、額に吹き出た汗をぬぐった。
 涼しい山の中で汗を流すだけの野良仕事をこなすのはやはり元気な証拠だろう。
 翼愛は「あとで見に行くと良いよ。虫かごと網もちゃんとあるからね」と千鳥の頭を優しくなでる。
 笑みがそのまま年輪のように刻まれたしわだらけの笑顔は、門を入るときの千鳥の心配をたやすく解くだけの優しさがにじみ出ていた。
 その笑顔が舞菜に向く。
「舞菜も久しぶりだね。あたしのこと覚えているかい? 『片目のおばあちゃん』だよ」
 外見では分からないが、翼愛の障害は左眼の失明なのだ。
 舞菜は正直どう挨拶したらいいものか迷っていた。
 祖母の記憶は小さな頃、夏休みでこの国に滞在していたときだけだ。
 それが昨夜夢に見たパック詰めの玉子を温めていたときなのだが。
「せっかくの夏休みなのに部屋の中でスーパーの玉子をあっためていたよねぇ」
 懐かしむ翼愛の姿にレーヴェンが「ほう」と頷いた。
「うう……その話は、できれば伏せといて欲しかったです」
 翼愛は「ま、それも優しささね。渡流(わたる)もそれをやったんだよ」と屈託なく笑った。
 渡流という人物が誰だか分からないが、もしかしたらここの住人なのかもしれない。
「麦茶でも出そうかね」
 刈った草の入った『ミ』を日に当てて乾燥させるようにしてから、翼愛はコテージの一つに歩を進めた。
 彼女の背に向かって、シャツの裾を千鳥に引っ張られている和泉が声をかけた。
「草原のほうを見てみたいんで、おかまいなく」
 コテージのそばにある庭と言うには広すぎる草原に千鳥が行きたいようだ。
 せがまれている和泉の様子は兄そのものだった。
「ちょっと草原から外れたところに庵があるからそこにでも持って行くよ」
 語尾は訊くように上がっていたがこれ以上断るのも悪いと思ったのか和泉は、
「ありがとうございます」
 と頭を下げて、千鳥に手を引かれながら草原へと歩いていった。
 レーヴェンの姿は今までのやり取りですでにない。
 翼愛一人に接待させるのも気が引けたので舞菜は翼愛の後を追いかけた。
 手を洗った翼愛は三つのグラスと一本の冷たい麦茶の入ったボトルを盆に乗せた。
 忽然と姿が消えたレーヴェンが気になり、舞菜は翼愛に訊ねてみた。
「渡流は多分眠ってるんだろうね。疲れていたみたいだから」
「渡流って、レーヴェンのことなんです?」
「そうさね。本名烏羽渡流。ここで育った子さ。だからここじゃ渡流で通ってる。ちょっと気になることがあるから舞菜が持って行ってくれるかい?」
 盆を舞菜に渡して外に出て、翼愛が庵と言っていた休憩所の場所を指で教えてもらいながら、翼愛は口でレーヴェンについて教えていた。
 例の玉子を温めている舞菜の姿をレーヴェンも見ていたこと。
 その様子に『分かるまでやらせてあげたほうがいい』と翼愛に彼が言っていたこと。
 そして彼も幼い頃『分かるまでやった』こと。
 先ほど彼が「ほう」と頷いたのは、当時玉子を温めていた女の子が舞菜だったと気付いていなかったこと。
「あの頃の渡流は似たもの同士なところがむずがゆいような顔をしてたよ。昔は今よりもっと表情があったからね」
 最後に翼愛は言って舞菜を送り出した。
 広い草原を日に照らされながら歩く。
 なんだか複雑な気持ちになってしまった。
「妹、みたいに見えたですか……?」
 ひとりごちてみるが答えはなく、なんだかもやもやしたまま休憩所にたどり着いた。
 そこには兄と妹のような関係の二人がいた。
 黙って二人を見つめてしまう。
 蝉の抜け殻や植物の名前を教えている和泉に、翼の使い方を教えていたレーヴェンを重ねてみる。
 和泉を思いきり引っ張り回している千鳥の姿に、容赦なく飛び蹴りやスリッパ攻撃をしていた自分が少し重なる。
「どうしたの?」
 舞菜の視線に耐え切れなくなった和泉が堰を切ったように訊ねた。
 舞菜は我に返ったように麦茶を用意して、二人に渡す。
「見れば見るほど仲がいいからちょっと呆然、です」
 暫くの間蝉の声が二人の間を流れて、和泉は誤魔化すように笑った。
 しかし何も隠したりはせず、理由はちゃんと伝えた。
「義兄妹の契りって奴、約束したからさ……。僕も千鳥もたくさんの人を殺してしまったから警察の目に止まってるんだ。白服と決着がつけば奴等が警察を抑える力がなくなるから、警察は一斉検挙に出るだろう。僕等はもう普通の生活には戻れない」
 その一言で、浮ついた気持ちごと、鳴いているはずの蝉の声まで舞菜の感覚から消え去ってしまった。
「決着がついた後、洗脳を企てた奴等を法廷に引きずり込んで、僕も人殺しの贖罪をするつもりだけど、僕も千鳥も一人なのは寂しかったから……」
 舞菜の心は蝉時雨の草原の休憩所にはなかった。
 舞菜が居たのは、いつだかの学校の、たくさんの雑談が飛び交う教室の中だった。
「マジかよ、ケーサツに成るなんて」
「そのつもりだよ」
「何かあっても俺をパクるなよ?」
「僕は手出しできないはずだよ。出身地には配属されないものなんだ、警察官は」
 多分ホームルームで進路の話題が出た後だ。
 和泉の友達がやけに大騒ぎをしていた。
 そして和泉はただの高校生とは思えないほど自分の行く先を知った上で結論を出していた。
 友人の叫び声のような言葉より、和泉の冷静で揺るがない態度が舞菜の頭のどこかにこびりついていたのだろう。
 なんかこいつすごい。とあの時少しばかり思っていた。
「夢、全く逆になっちゃったんだ……」
 ワクチンを作っていたレーヴェンがウイルスを生んでしまったのと同じように……
 記憶の中で舞菜は呟いた。
 現実の蝉時雨に掻き消えるような声で。
 和泉は首を横に振った。
「そうでもないよ。僕や千鳥も、白服に残っている他の翼使いたちも、確かに人を殺したけど、洗脳された被害者でもある。僕は彼らを弁護したり、白服を潰した後の残存勢力から守ったりして、警察にはできない『特定の人を守り通す』事ができるようになったんだ。僕はその道を選ぶよ。高校生には戻れないかもしれないけど」
 以前教室で見せた冷静で揺るがない瞳が舞菜を映していた。
 その瞳に後ろめたいものが舞菜にはあった。
 自分の未来や将来に、はっきりとしたものが自分にはない。
 白服との決着がついたとして、それから自分が何をするのかも、わからない。
 それどころか、白服と決着をつけるための理由さえも……
 もう拉致しようとしなければ白服は捨て置いて普通の暮らしに戻って良いような気持ちさえわずかだがあった。
 だが和泉もレーヴェンも、成し遂げたいもののために命を賭けている。
「すごいね……」
 劣等感が声を押し出していた。
 和泉は「大きく出すぎたね」ともう一度首を左右に振った。
「僕は焦っただけだよ。華萌愛さんの家庭のことに首を突っ込んだのがきっかけで、何も知らないくせに何とかしたくて、白服につかまって、壊れて、君たちに少し戻してもらって……そうしていたらどうしてもやりたいことが見えてきたんだ。そして少しずつ具体的な方向に変わって、今がある。でも、まだ何も実現していない。超えなきゃならないモノがあるっていう点ではレーヴェンに結構共感するところ、あるんだ」
 和泉は苦笑いした。
――夢無くして人は語れない。だが夢を意識しすぎるな。夢に食われて夢を超えられない――
 あのときの『夢』の意味、間違えていたですね……
 何かを考えようとした。
 だが、譲れない何か、なんてモノはそう簡単には見つからなかった。

「渡流の――レーヴェンの連れは何処だ! すぐに来てくれ!」
 コテージの一角から、男性の叫ぶような呼び声が草原に向けて響き渡った。
 血の気の多そうな二十代の男性の声。
 多分、ここの警備をしている翼使いだ。
「何かあったのか?!」
 タン!
 和泉が問い返す間に、舞菜は声を張り上げる男性のほうに走っていた。
 走るのは一歩だけだった。翼の飛翔で瞬く間に男性の目の前まで舞菜はたどり着いていた。
「あんたがパートナーだな? こっちだ!」
 舞菜が後についていく。事情は後回しらしい。
 何が起こったのか分からないが、男の表情と声からして切迫した事態のようだ。
 和泉や千鳥も飛翔して、後を追う。
 誘導されたのは医務室だった。
 そこにレーヴェンが人工呼吸器を口にかぶせられた状態で横たわっている。
 傍らでは、聴診器を首に下げた初老の女性が彼の手首に指を当てて脈を取っていた。
「駄目ね、応えない……」
 女医が呟く。
 レーヴェンが意識を失ったのだと一瞥して理解できる状況だ。
 しかしその理由がわからない。
 和泉が「もしかして」とレーヴェンを診察している女医に話し掛ける。
 それはとても恐ろしい内容だった。
「眠ったまま『全てが停止した』んですね?」
 女医は「あなた、見たことがあるのね?」と返してきた。
 和泉は怖いくらいに真剣な表情で頷く。
「はい。白服に居た頃、限界の更に上の領域で翼を使い続けた人が休憩を取ったら、こんな状態になって、そのまま――死にました」
「死って……」
 舞菜が顔面蒼白になる。しかしその顔色よりもレーヴェンの肌は蒼い。
 心停止をすでに起こしているのだ。
「鳩居(はとい)准尉がそうだったの。お兄ちゃんは壊れてたから治療に参加できなくて、私たち、がんばったけど、死んじゃった……」
 千鳥が堪えるようにレーヴェンを見据えながら、和泉のシャツを固く握り締めている。
「白服での蘇生例は?」
 女医が訊ねると和泉は自分の手帳型端末を検索して絶望的な返答をした。
「ありません。ですが理論的には『翼が起こす強すぎる風で消えてしまった命の火をもう一度おこすように燃やす力を与える』とあります」
「比喩的ね」
「医学知識のない翼使いのためのマニュアルですから」
「そのマニュアルと理論を構築したのは誰?」
 女医がもう一度訊ねる。
「白服単独医療作戦医師キグナスです。しかし彼も蘇生に参加して、失敗しています」
「彼の強大な翼でも無理となると、それ以上の翼が必要になるから机上の空論と同じね。もしくは根本的に理論が間違っているのかも……」
 女医が息を吐く。
 手の施しようがないのだ。
 重い空気が医務室にのしかかる。
 誰もが沈黙していた。
 まるでもう通夜が始まってしまったかのように――
「和泉。あなたの手帳を貸して」
 レーヴェンを見据えたまま舞菜が言った。
 成し遂げたいこと、譲れないものは、気付かなかっただけで目の前にあった。
 舞菜は諦めていない。
 手帳型端末をすぐに舞菜に渡した。
 舞菜には何かひらめくものがあるのだ。それがわかったから和泉も動いた。
「医学的な延命処置を続けて下さい。白服の理論が駄目なら体力回復の翼を僕たちが使います。千鳥も協力してくれ。椋木が『本当の方法』を見つけるまで時間を稼ぐ!」
「時間を稼ぐだけなら、わたし等の翼も使えるさね」
 翼愛さんが住人の翼使いを連れて来た。子供も老人も、警備に参加している成人の翼使いたちも。
「舞菜ならきっとやってくれるさ」
「よろしくお願いします! 彼の翼をここまで酷使させたのは僕の責任なんです!」
「責任なんて関係ないさ。渡流に、ここの住人の孫であり兄弟に生きていてほしいだけだよ、あたしたちはね」
 舞菜はテスタメントの手帳と、和泉の白服の手帳を持ち、二つの電子情報の中に意識を『落とす』。
「聖杯から零れ落ちる命を認めない者、命の『節制』……アルカナ14・セラフィム!」
 舞菜が光の翼を広げる。
 進化の結果テスタメントとビブロスが模倣した、七四枚のタロットカード。
 その大アルカナ十四番目のカードのように、落ちてゆく命をこぼさないように、情報の水の中を舞菜は奔る。
『転生』を意味する13番の大鎌を二つ持ち、落ちてゆく翼を追って。

 二つのワクチンは、命無い玉子を生きさせる幼心がヒントで生まれた。
 それは生きていないのに生物のように人に伝わるものだ。
 伝播して活動するもの。
 何かを成し遂げようとするもの。
 テスタメントとビブロス。
 伝播する手段は、電子情報や雑音。
 音に翼を、命を吹き込んだもの。
 ライヴハウスで聴いたマスターのギターは一回弾いただけで私を元気付けた。
 それと同じように、ある規則性を持ってその役割を果たす、人が作り出した音。
 ガスの満ちた学校の中で空間を超越して届いた彼の《声》もそれに似ている。
 そして私は受け取った《声》に《詩》を聴いた。
 それで私が翼を広げられたのだから、きっと……
《声》が私に出せれば、聴いてくれれば――

《レーヴェン。疲れてたんだよね……
 忠告、遅かったんだね……
 そのまま疲れ果てた翼で死の海に落ちないで。
 私たちには翼も手もあるんだから、肩は貸せるから。
 つかまっていいんだよ?
 私の肩は小さいかもしれないけど、ここで休んでいいんだから、
 だからもう二度と、背負いすぎないで。
 私、パートナーなんでしょ?
 私の声を聴いて。私の力、もっと借りたって大丈夫なんだから。
 だから――
 だから! 勝手にいきなり死んだりしないでよ!!》

 必死に訴えた。レーヴェンの心に、翼に、伝わるように。
 ガスの海から助けてくれたのは彼。だから今度は私の番。
 生きてほしい。その気持ちを思いの限り叫んだ。
 最後は、慟哭だった。
《すまない――》
 手に大きなぬくもりを感じた。
 まぎれもない彼の手の感触。
 その手を引きながら、舞菜の意識はブラックアウトしていった。

 医務室に並べられた二つのベッドにレーヴェンと舞菜が横たわっている。
 二人とも自分で呼吸をし、鼓動を繰り返している。
 総勢四十人ほどの住人たちは家族の生還に安堵していた。
 和泉は住人たちと少しばかりコミュニケーションを取り、彼の後押しで千鳥にも友達ができそうな気配だ。
 夜がふけた頃、住人たちはそれぞれの部屋に戻って、和泉と千鳥も部屋を借りて休もうとしていた。
「そろそろ眠ったほうがいいよ」
 女医に処方してもらった自分の薬を飲んでおいた和泉は、千鳥用の弱い眠剤と水の入ったコップを渡した。
 効いてくるまで三〇分くらいあるのはもう慣れて知っている。
「明日はちゃんと友達に挨拶しような」
 苦々しい薬を飲み下してから千鳥が和泉の手を引っ張った。
「お兄ちゃんもだよ……?」
「ああ。あの二人が本調子になるまではここにいるよ」
 そう答えると千鳥は引っ張っていた手に抱きついた。
 すがるように。その先で待ち構えている日への不安を露わにした瞳で和泉を見つめる。
「すぐに帰ってくるよ。あの二人に僕が加われば必ずうまく行く。だから待っていてくれな?」
 なだめるが、千鳥は和泉の腕に顔をうずめて嗚咽しだしていた。
「むくのきおねーちゃんがうらやましいよ……。黒いおにーちゃんを助けるみたいに、お兄ちゃんを助けたいよ……」
 いまさらのように和泉は気付かされた。
 ……そうやってあの二人と僕たちを比較していたのか。心を読まないと僕は本当に鈍いね……
 昼間の舞菜の視線もそうだったのだと同時に気付く。
 お互いコンビとしての比較材料は山ほどあったのだ。
 元白服の二人とは違ってあの二人に馴れ合いはなかったし、義兄妹でも恋人でもないが、極上のパートナーシップをあの二人は持っているように見える。
 今日の出来事で千鳥はそれを痛感したのだろう。
 和泉の目からしてもあの二人は言葉少なくもどこかで通じ合っている。
 千鳥の純粋すぎる目はそんな二人に羨望を抱いているのだろう。
「ここに残すことで危険から遠ざけようと思っていたけど。レーヴェンの二の轍を踏むところだったのかな」
 そう言って和泉は千鳥の髪をなでた。千鳥もただの無力な女の子ではないのだ。
「千鳥に頼めることがあった。二人が目を覚ましたら頼んでみる」
 千鳥は黙って頷き、その後確認するように言った。
「ホント……?」
「ああ、本当だよ」
「ウソついちゃ、やだよ……」
 聞き返して見上げた千鳥の目がとろんとしてきた。眠剤が効いてきたのだろう。
「僕はウソと濡れ衣が大嫌いなんだ。だからもう眠ろう」
 和泉はベッドに向かって歩き、腰を下ろす。
 まだ千鳥は腕を抱きしめたままだ。以前ダメと言われたが添い寝の安眠は忘れられないらしい。
 この子は今まで一人だった。軍人という仮面をかぶせられてしまい、年齢は男の子を意識しだす頃であっても、心は幼子のまま。
 幼心でぬくもりを求める子を無碍にあしらうのは罪だ。
 和泉は、今朝の椋木みたいに一瞬でも濡れ衣着せられるのは嫌いなんだけど、それよりも大事なことだよね……と結論付けた。
「兄の体は大きいから落ちないように注意してね」
 千鳥の顔がふにゃっと笑みに変わる。
 嬉しそうに右腕の一部になっている千鳥ごと和泉はベッドに入って消灯した。
『幸せ』なんて大層なモノは多分誰にも与えられない。だから、結果が微力でもいいから全力で力になろう。
 そう思いながら、和泉は瞼を閉じた。

「目、醒めた?」
 暗い医務室の天井を眺めながら舞菜は言った。
「ああ。助けられたな」
 舞菜の隣のベッドでレーヴェンが答える。
「それはお互い様です」
「そうだったか」
 意識せず二人同時に起き上がった。
「体調はどうだ?」
「それはこっちの台詞です」
「問題ない」
「ならオーケーです。でも、おなか空かない?」
「かなり空いている。食い物の調達でもするか」
「アテはあるです?」
「食堂にでかい冷蔵庫がある。数年ぶりにくすねるとしよう」
「オーライです」
 二人して医務室を出て、別館になる食堂へ足を運ぶ。
 なんだか工場に夜襲をしていた頃を思い出して、舞菜は笑いを堪えた。
 途中で警備の翼使いの男性に見つかったが、笑って「相変わらずだな、渡流」と見逃してくれた。
 レーヴェンが『停止した』ときに舞菜を呼びにきた人だった。
 彼とレーヴェンは小さい頃は喧嘩友達だったらしい。
 二人でよくやんちゃやイタズラもしたという。
 そんなわけで食堂への侵入は成功。
 そのまま堂々と料理を作ることにした。
「舞菜は何が作れる?」
「パスタ系全般。今は日本の家庭の味を研究中」
「なら調理実習と行くか。メインディッシュは任せた」
「味の奥義があったら教えてです」
「無論だ」
 出来上がったのは肉じゃがとほうれん草のおひたし、しいたけのお吸い物だった。
「味が濃すぎたです……」
「この方が肉じゃがはメシが進む。舌を休めるならおひたしを薄味にしておいた」
「もしかして計算づくです?」
「失敗してそうなっただけだ。奥義は知っていても実際に使えるとは限らない」
 その答えに舞菜は笑い、レーヴェンは「ふ」としか言わなかったが気持ちは笑っていたのだろう。そんな気がする。
 食器を洗い、片付けると、草原のほうへ行ってみた。
「食後の一休みだ」
 レーヴェンは草原のど真ん中で寝そべった。
 その横に舞菜が座る。
 山の空は街中では見えない星々をくっきりと見せていた。
 星の数ほど、と言う喩えは本当はこれほどまでにたくさんの数なんだな、と舞菜は感心していた。
 レーヴェンは月を見ていたようだ。
 西の空のほぼ満月の月。でも向かって左側が少し欠けているから……
「あと三〇分ほどで夜が明けるな」
「今の時間は四時ごろです?」
 舞菜は携帯電話の液晶ライトを点けてその計算が正しいことを確認する。
 誤差は二分ほどだった。
 夜中にテスタメントを集めていた頃、飛びながら時計や携帯を見ないで済ませる豆知識だ。
 そのままピッピッと携帯を操作して着信音を鳴らす。
 携帯電話もちょっとした楽器だ。携帯が最近上映を始めた洋画の主題歌を奏でている。
 舞菜は曲を歌い、レーヴェンがバックコーラスを入れていた。
 二人とも知っている曲なのだ。
 しかしこれは……
「お互い、音痴だったのですね……」
 二人の歌を形容するならこの言葉に尽きる。
「音楽は好きだが歌うのは苦手だ」
「私もです。でも、私が聞いた《詩》はもっと上手じゃなかったです?」
「聞き手のセンスだろそれは。実際は音痴だ」
 舞菜は立ち上がり、レーヴェンの顔を覗き込むようにした。
「そですね。プログラマは発声練習をしないだろうし、バレー部部員も部活で歌を歌ったりしないです。応援はただの絶叫」
 そう言って舞菜は笑う。
「でも、何もないところから意味のあるものを書くのはプログラムも詩も似てるです」
「そうかもしれない」
「バレーボールは三拍子に変調を加えて戦う球技です」
「そういうものなのか」
「メトロノーム通りじゃ試合にならないけど、リズムは大事です♪」
 言うと舞菜はレーヴェンから距離を取って、バレーボールでアタックをするような踏み込みで跳躍した。
「跳ぶための足さばきも、セッターとのコンビネーションもリズムが大事。そしてなにより――」
 宙を飛ぶ舞菜がシュッと手を振る。
 舞菜が投げつけたものをレーヴェンはとっさに手に取った。
「空中戦の一瞬の判断力は形振り構わず『声』を張り上げていたほうが断然速くて正確」
 投げたのは、草庭で片付けるのを忘れられたゴムボールだった。
「和泉のあの絶叫もそれが目当てだったのか?」
「戦う記憶は憶えていたみたいだから、多分そうです。レシーブでも声を出すと反応が段違いになるですよ?」
 トン……! と舞菜は綺麗に着地する。
 再びレーヴェンのところに戻って舞菜は宣言した。
「だから、白服と戦うときは『高機動型魔法使い』に成るです……ってそれじゃ翼使いと同じかな?」
 レーヴェンに反応はない、というか、珍妙な物言いに絶句している。
 暫くしてやっと口を開いた。
「テスタメントは役に立ったか?」
「アレとレーヴェンのおかげで見えてきたの。そしてそれがやりたいことを見せてくれた。少なくともテスタメントは私にとっては『元凶』じゃなくて『はじまり』です」
 元々彼の願いで造ったものが間違いではでないことを、テスタメントを読み、必死に彼の息を吹き返らせたことで舞菜は理解した。
 そして目の前に寝転がっている業のかたまりが、自分にとって半身のようにあたりまえに存在し、失ってはならないという――大事な、極上のパートナーであるということを。
「そうか……」
 レーヴェンも立ち上がった。
 彼は自分の掌を舞菜に向けた。舞菜も同じように向ける。
「改めて、よろしく頼む」
 レーヴェンも、気持ちは同じようだった。表情も、言葉の抑揚も無い男だが、今ならなんとなく分かる。
「こちらこそ♪」
 パーン!
 二人の掌が甲高い音を立てた。
「肩を貸しすぎて、死ぬなよ」
「自分で背負いすぎて死ぬのも許さないです♪」
 黎明の草原に響いた音。
 それは二人が本当の意味で肩を並べたパートナーになった信頼の拍手(かしわで)でもあった。

六章 コンビネーション・キューブ

1

 翼愛の宿で数日休養を取り、その間に和泉が千鳥の参戦を舞菜とレーヴェンに進言して、それは簡単に通った。
 住人たちに暫しの別れを告げ、決戦の場へと向かうセダンは千鳥の運転により走っている。
 主力である舞菜とレーヴェン、そして強い攻撃力ゆえに障害も強く、今の治療手段では本来の力を発揮するためには睡眠時間に一四時間を要する和泉の力を温存するためだ。千鳥は翼の力が弱い分、傷害も弱く、この三人を送迎するだけの運転技術も持っている。これが和泉発案の人選の一つだ。
 運転席には当然千鳥、助手席に和泉、後部座席に舞菜とレーヴェンが座り、セダンは走る。(レーヴェンと和泉が後部座席だとセダンでも狭いのだ)
「ねえ、自己紹介やってみない?」
 決戦へのドライブの最中に舞菜が提案した。
「なんでまたいきなり」
 脈絡のない提案に即座に和泉がつっこんでいた。
「ん〜、まあ、なんとなく」
 白い鳥コンビは首をかしげている。
 レーヴェンは無表情のままだが心中で「何の真似だ。理解できん」と思っているのが理解できてしまった。
 理由は白状したほうが良さそうだ。
「……なんか、白服と決着がついたら『はいさようなら』って感じがしたから。今更だけど『これからもよろしく』って感じでやってみたくなったの」
 ばつが悪そうに言ってから取り繕うように「私からね」と指で円を描いて順番を示して自己紹介を始める。
「椋木舞菜。年齢十七歳。趣味は映画鑑賞。好きな映画はアクション系。ホラー系はそこそこ。でもラブラブ系はパス。特技は着メロを耳コピーで作れること」
 はい、と隣のレーヴェンに順番を渡す。
 渋々レーヴェンが口を開いた。
「通称レーヴェン。本名烏羽渡流。二一歳。趣味は音楽鑑賞。好きなのはカルミナブラーナだ。現代音楽では良いアーティストを散策中。特技は工具と部品が有れば大抵の機械を直せる。闇医者も特技になるか」
 しかし説明上手な彼は淡々と自己紹介を終えた。
「二人とも音楽はビジュアル系だと思ってた……」
 素で感心したような声で和泉が驚いている。
 二人の瀟洒な黒い服装はやはりそんな印象がある。
「中学の頃はそれなりに好きだったけど今はパス。この服は単に夜中に目立たないようにするためデス」
「いわゆる仕事着だ。しかし洒落っ気がないとつまらんだろう」
 次ぎに行け、とレーヴェンが助手席を後ろから小突く。
「和泉敬一。十八歳。趣味はハーブ茶と漫画のアフレコ。特技は剣道七段、空手五段、弓道初段、合気道三段、柔道四段、薙刀二段、あと銃剣術も少々」
 舞菜の口から思わず、うわぁ、と声が出る。
「ハーブ茶とは良い趣味だ。漫画のアフレコとはなかなか濃いな」
「最近は叫び声ばっかりの格闘漫画が少なくて欲求不満気味だけどね」
 レーヴェンの感想はやっぱりどこかズレていたが、それに付いて行く和泉も和泉だ。
「って、そっちもすごい気がするけど、なんでそんなに格闘技ができるデス? しかもなぜそれで学校じゃバレー部なの?」
「剣術道場が家業で、親戚が他の道場の看板背負っているからだよ。成長ぶりが楽しいらしくて親戚中連れまわされたんだ」
「この歳でそこまで到達したのなら、成長過程は目を見張るものがあったのだろう」
 とレーヴェンは頷いている。
「その上学校でも格技やったら道場の鍛錬に体がついていかないからバレー部にしたんだよ」
 舞菜は、部活と掛け持ちって体力すご過ぎ……と言おうとしたが、障害を持って以来そのすごすぎる体力を全力で出すために睡眠時間を異常にとっている和泉には、できなくなってしまったことの方が大きいのだろうと声には出さなかった。
「……お兄ちゃんってやっぱり強いの?」
 舞菜の驚きように千鳥が不思議がるのを、身をもって知っているレーヴェンが答える。
「俺が生きていたのが奇跡に思える位に、強い」
「実戦は紙一重だから、死ななかったって事はお互い強いってことだよ。デスサイズ二刀流なんて相手にしたこと無かったし」
 和泉の注釈は決して謙遜ではないのが声色で分かる。武に命を賭けた者の重い言葉だった。
「そのスキルとおまえに感染したウイルスが15番だったことから白服はおまえを俺と戦わせたんだろうな」
「15番『ルシファー』……最悪のウイルスだね。でも武の道を忘れた戦いはもうしないよ。命有ってのモノダネってつくづく思からね」
 言って、後部座席に振り返って、武道家の心で真摯に舞菜へ「本当にありがとう」と改めて頭を下げた。そしてレーヴェンに珍妙な視線を送る。
「レーヴェン、言わずもがなのコンビなのかもしれないけど、言葉にするのも大事だと思うよ? おせっかいかもしれないけどさ」
 と、またも珍妙な笑みでレーヴェンを見て助手席に腰をかけなおす。
「あ、ああ……」
 別に感謝される目的で二人の戦いを止めたわけでも彼の蘇生方法を開拓したわけでもないのだが、しどろもどろなレーヴェンの反応がやけに新鮮で、それだけでも舞菜にとっては収穫だった。
「じゃあ最後は千鳥だね」
 和泉が運転のまま取り残されかけていた千鳥に順番を回す。
「えと、鶴来千鳥! 十六歳! 趣味はわかんないけど、特技は運転! 好きなのはお兄ちゃん! 次が舞菜ちゃんとレーべンさん!」
『ヴェ』の発音が出来ない千鳥の自己紹介はどこまでもストレートだった。
「十六歳……?」
 急に和泉が愕然とする。
「もう三歳は軽く幼いと思っていたけど、正確な出生データが手帳に無いよ……」
「何歳かわかんないからキグナスがイデンシのブンレツで、えーと……」
 千鳥は必死に説明しようとしているが、自分でも原理はわからないようだった。
「細胞の自然崩壊速度を計測して遺伝子内の細胞分裂回数を示す部分のデータと照合し、年齢に換算したのだろう。概算に過ぎないが」
 知恵袋レーヴェンが説明に入ったがやはり専門用語ばかりで理解しがたい。
 どちらにしろ理解できないので気岸は年齢を概算するのに身近な女の子、舞菜を比較対照にしてみる。
 ……なんとなく真実に思えてきてしまった。
 見れば見るほど椋木って……
「今、猛烈に見下された気がするデス」
 露骨な表情だったのか一瞬で胸中を見破られて、舞菜の冷めた流し目に和泉が硬直する。
「あ、いや、その……」
 心をのぞかれるのって嫌なものだなぁ。僕もあまりあの翼は使わないようにしよう。
 論点をずらして和泉は現実逃避していた。
「安心しろ。添い寝程度なら犯罪ではない」
「それ、フォローに成ってないと思うデス……」
「しかしその状況下での和泉の精神力と道徳心には感服させられるな」
「レーヴェンだったら眠ってる間に顔に落書きとか平気でしそうデス」
「む、読まれていたか。言っておくがもっとすごいことは了承無しにはしない」
「ナニ口走ってるデス!」
 命を賭けた最終決戦。その場に向かう車内は妙にリラックスした雰囲気だった。

 2

「楽園はすぐそこにある」
 華萌愛は言う。
 ビルに埋め尽くされた街が渓谷ならば、流れるのは冷たい清流。
 渓流に削られた石英が、雲母が、そして水の気泡が煌きながら流れては遥かに消える。
 愚かしいほど繰り返し続いていく自然の営み。
 ビルの渓谷を縫う高速道路のテールランプも電車の流れもそれと同じだ。
 流れに命を置き、愚直にも生を全うせんとする生物の営みも愚かしければ、白服に命を置き、洗脳のまま生を果てる者もまた愚かしい。そしてそれに抗うことさえも。
 そんな達観した境地にいるのが佐伯華萌愛だ。
「他人と同じ事を繰り返しても楽しくないわ。だから私は彼の《声》に返答した」
 そのキグナスの声が、華萌愛が白服に踏み入った一歩だった。
 レーヴェンの声に応えた舞菜と同じように。
「シラサギが黒い翼を連れて来る。この源泉に向かって」
 独り言のような言葉。
 それには聴く者が居た。
「それは軍の仕事だな」
 キグナス。癖のあるブロンドを長く伸ばした白衣の学者。
「翼使いに関する部分、白服の半分以上は貴方の管轄なのに」
 キグナスと同じように華萌愛も他人事だった。
「白服なぞ私には何の興味もない。仕事をこなそう」
 二人はヒトとは別の流れに乗る。

 3

 白服の本拠地はとある街に堂々と聳え立つ鉄の楼閣だ。
 表の顔が都市計画によるクリーンエネルギー研究施設兼リサイクルプラント建設予定地であり、周囲三キロは予定地として一般人の侵入は不可能。
 研究施設であり、リサイクルやクリーンエネルギーという人類に必須の研究分野だったため、多少の理解不能なモノの出入りに住民は気にも留めずにいた。もちろんそれに足りるだけの偽装を軍も行っていたのだが。
 そして黒い翼が来訪した夜、街は凍りついていた。
 洗脳された翼使いたちの力により住民全員が眠らされてしまったのだ。
 戦闘が起こってしまえば鉄の楼閣のエコロジカルなイメージは軍用施設のテロリズムのイメージに変わってしまう。
 白服もまた徹底抗戦の構えを取っているのだ。
「かえって好都合だな」
 白服の『間合い』に踏み込む前にセダンを降りたレーヴェンが二振りのデスサイズを出現させ、肩にかける。
 鋼鉄の刃が背から伸びる姿は業の翼を背負っている彼の象徴だ。
 千鳥を残して舞菜と和泉もセダンを降り、舞菜は光の翼を、和泉は日本刀を出現させる。
「千鳥ちゃん、僕のサポート頼むよ」
 和泉にしては言葉少なくウインドウ越しに、運転席のシートに座っている千鳥に言った。
 千鳥にとっては自動車がテスタメントの代わりなのだ。
「うん。みんな、ちゃんと戻って来ようね」
「オーライです」
「無論だ」
 舞菜とレーヴェンはそう応えて和泉に促す。
「先鋒は僕だね。ひとつ、イッてみるよ」
 言うや否や剣のエースを装備した和泉は翼を羽ばたかせ、光の矢に成って白服本部に向かって突進する。
「俺たちも――」
「手はずどおりにです」
 舞菜、レーヴェン、千鳥も散開して、和泉に遅れて白服本部に向かった。

「覇ぁぁぁぁっ!」
 迎撃のマシンガンや対戦車ライフルの嵐を掻い潜り、和泉は飛ぶ。
 彼が選び、任された役目を果たすために。
 そのために彼は少しだけ心を過去に戻す。
 破壊、破壊、破壊!
「あああぁぁぁっ!」
 絶叫と共に銃弾を撒き散らすバギーを斬り捨てる。
 荒い呼吸を繰り返し、正気を失った眼光で、自分に照準を合わせる兵士を見渡す。
 軍にこの少年を知らぬものなど居ない。
『シラサギ』だ。狂った殺戮の翼使い。敵も味方も無く全てを殺す者。
 白服が所有していた主力兵器。最強だったと同時に最悪だったが故に扱いきれなかった者。
 ロケットランチャーやガトリング砲を持ち出している今の戦況でも、その攻撃は無意味であり、白服の武力は紙細工のようにたやすく切り裂かれ、投下したナパームの爆炎は照明に過ぎない。
 赤い炎。黒い煙。
 火の粉が舞い、予定地の空間がチリチリと音を立てる様子は、返って兵士たちにこの場でこの狂った翼に火葬されることを連想させていた。
「殺していい?」
 恍惚とした目でシラサギは兵士たちを見る。
 一人がライフルを乱射した。が、避けられた。
 シラサギは心を読む。どこに撃つのか、いつ撃つのか読まれている。
 すぐさま別の兵士がロケットランチャーを放った。
 その砲弾をシラサギは剣で薙ぐ、狂気の鳥が爆炎に包まれる。
 しかし爆炎は一度の羽ばたきに払いのけられた。
 彼自身が兵器であり炎であるかのように平然と立っている。
「殺されたいんだね」
 呟いた刹那、五人の兵士が血飛沫を上げて倒れた。
「僕はここを壊したい。邪魔するなら、邪魔だから殺すよ。簡単な理屈でしょ?」
 この世に悪魔がいるなら、この白い鳥なのかもしれない。
『逃げたいんだね?』
 3キロの空白の敷地に群がった兵士の頭の中を貫くように清冽な声が響いた。
 確かにそのとおりの心境だった。
 シラサギは翼を疾駆させて破壊の限りを尽くす。
 銃火器、爆薬、毒ガス、光学兵器……現代兵器で、本拠地に乗り込まれた戦況で彼を殺せる武器は存在しなかった。
 勝ち目など有りはしない。
 僚友として出撃した者でさえ彼の手にかかって死んだ。
 誰からともなく常人の兵士たちは敗走を始めていた。
 洗脳された翼使いの兵士は――急速に回復していく自我に意識を失っう。
 それは『シラサギ』にはありえない僚友とのコンビネーションの賜物だ。
 パートナー千鳥が唯一の翼と言って良い幻影を使って、バギーの一つにまぎれて、洗脳されたままの翼使いたちに『2番』をインストールしていたのだ。
 炎上する地上兵器の焔の中、和泉は千鳥と合流した。
「さてと、シラサギを演じるのはここまでで良いね。常人の兵士は傭兵がほとんどだからもうこの仕事には首を突っ込まないだろう」
 先ほど切り捨てられた兵士は峰討ちで気絶しているだけだった。お互いヒトゴロシ同士、この際骨折までは大目に見てもらおう。
 斬殺の光景は、千鳥が得意とする幻影の翼を和泉が使って、兵士全員に等しく見せていただけのことだ。
 この気絶した傭兵は後の法廷での重要参考人として使うので捕獲しておく。
 和泉は千鳥に作戦のひとまずの成功に親指を立てて合図して、施設内の翼使いを解放するために中へと入る。
 舞菜とレーヴェンは今の立ち回りの混乱に乗じてすでに施設内に入っているはずだ。
 特にレーヴェンの読みの良い翼と空間相転移の能力を持ってすれば、キグナスの目の前に現れることもできるだろう。
 ……キグナスは、移動することなど出来はしないのだから。

「わっ、何デスこれ?!」
 レーヴェンの空間相転移で彼と一緒に白服の施設内に入るや否や、舞菜は目にしたものに一歩後ずさった。
 同時にレーヴェンは踏み込んで、デスサイズで『そいつ』を薙ぐ。
 首を薙ぎ、落としたが攻撃は止めない。
 そいつの四本の足を刈り、更に胴体に刃を突き立てる。
 《雑音》を立てながらそいつは崩れ去り、屍は残らなかった。
「これがキグナス発案のウイルスの加工品・ビブロスだ。俺の鎌やおまえの翼が実体化しているのと原理は同じだが、暴走したウイルスをそのまま実体化させた怪物だ」
「でもあれって、スフィンクスってやつじゃなかったです? 大型犬くらいの大きさだったけど」
「ウイルスがタロットを模倣した結果だろう。あの怪物の絵はいくつものカードに描かれていたはずだ」
「なぞなぞ言われなくて良かったです」
「足の数のアレか。暴走したウイルスだからそこまで賢くはない。斬れば音に還るだけだ」
 先ほどの怪物と似たような気配が周囲を包む。
 剣と天秤を持つ男。ライオンを手なずけている女性。ローブを身に纏った魔法使い的な老人……しかし見た目がマネキンのようで容易にヒトではないと判断できる。
「とにかく。こんなものが世に普及したら面倒だ。キグナスに会う前に音に還す。手伝えるか?」
「私なりのテスタメント原本の利用方法をテストするにはもってこいかもしれないです」
「良い答えだ。右側は俺がやる」
「左は任されたです」

《道を外された音の中で 集めるために刃を振う 金色の月の光 背を向けて 誤算に満ちている運命の輪を止めよう》
 舞菜はビブロスの攻撃をかわしていた。獅子の牙を、男の剣を。
《白い翼 夢を見失いおぼれてゆく 得られるものはありはしない 決め付けて世を捨てる》
 壁を作ることも無く舞菜は詩を吟じていた。
《繰り返し訪れる夜の中 黒い鎌 翼が求めるものが 贖罪じゃなく明日への歩みだと信じて》
 ポケットから空の子瓶を取り出す。
《根ざされたweb 癒したら 間違いに満ちた今 決着の翼広げよう》
 吟じ終えると、ビブロスはテスタメントへと変貌し、舞菜の差し出した子瓶に滴り落ちた。
「見事だな。そんな方法は思いつかなかった」
「たしか、エンコードっていうパソコンの処理、だった、です、ね……?」 
「ああ。パソコンに限らず電子回路やチップでもエンコードやデコードはできる」
 恐らく半分以上理解されていない専門用語で答えながらレーヴェンは舞菜の異変に気付いた。
 苦痛を堪えるように歯を食いしばり、彼女の瞳はあらぬ方向を凝視して、硬直していた。
 その方向にはただ床があるだけだ。
「ん――?」
 透視のような『読み』の翼でその床の更に下の階を感じ取る。
 重厚な鉄で六面を区切られた無人の部屋が一つあり、牢獄のような鉄格子の部屋では白い軍服を着た翼使いたちが、ある者は無気力に四肢を投げ出して、ある者は絶叫なのか悲鳴なのか分からないような声を上げながら無秩序に翼を解放している。
「鳥籠か」
 舞菜に問うでもなくレーヴェンは呟く。
 舞菜は何か答えようとしたのかもしれないが口を動かすだけで声が出せない。
 頬に冷や汗がにじみ出る。
「あそこは和泉に任せろ。彼等を救出するのはあいつの仕事だ」
「和泉……」
 その名前で舞菜の翼は『受け取って』しまった。

 最初は、言葉の呂律が回らなくなったのに気付いた。
 言いたいことがうまく言葉に出せない。
 翌日には目が妙に冴えていて、光の少ない鋼鉄の部屋をまぶしく感じた。
 半日もすればそれには慣れたが、瞼を閉じても暗闇は訪れない。
 瞼を硬く閉ざしても、鋼鉄の部屋が、見たくも無いのに見える。
 休まらない視覚に頭痛がした。体がだるい。だが安息の闇は訪れない。
 夜に成っても眠ることは叶わなかった。
 幽閉され、眠れない一日はとてつもなく長い。
 その間、華萌愛の事を想い続けた。
 失踪したかつての恋人を。
「もしかしたら彼女もこんな目に」と思うと狂おしくてどうしようもなくなる。
 鉄の扉を叩いた。叩き壊せるように全力で。
 しかし鍛えられた拳でも厚さ50センチの鋼鉄の隔壁扉はびくともしない。
「開けろ! 開けろっ! 開けろォッ!」
 血を流す前に、鍛えられた拳ごと骨が砕けた。だが全力で拳を放ち続けた。
 もはや正気ではなかったのかもしれない。
 拳が手首まで使い物にならなくなったら、足、膝、肘が砕けるまで叩いた。
 抜け出さなければ! 抜け出さなければ!!
 痛みよりも焦燥が先に立ち、胸に早鐘を打つ。
 四肢は己の意思に従うことを、開放粉砕骨折という形で拒否した
 残された頭で扉を叩き、脳震盪を起こす。
「くそォォ……」
 倒れる。
 目を閉じる。
 脳震盪を起こして瞼を閉じても、目をこじ開けられたように己を閉ざす鉄の部屋が見える。
 気絶さえ訪れない。
 外から翼使いたちのうめき声が聞こえた。
『僕もその一人なのか』
 そう自覚した。
 同時に心の底から言葉を吐き出した。
「このままで終われるかァァァァッ!!」
 それが和泉の初めての羽ばたき。
 それでも隔壁は壊せなかった。
 五体から血を流し、力尽きるが、意識は終わらない。
 現実という、悪夢よりも恐ろしい空間が圧し掛かる。
「終われるか! 終われるかッ、終われるかァァッ!」
 使い方の分からない翼を放ち続けた。
 翌日から、洗脳と能力調整、そしてシラサギと呼ばれる日々が始まった。
 そして和泉は鳥の名前以外のほとんどを忘れた。

「はぁっ、はぁっっ!」
 舞菜は胸を抑えうずくまり、荒い呼吸を繰り返していた。
 彼女の背をレーヴェンがさすっていた。
「すまない。病んでいないおまえの心と、使い込むほど翼の読みが深くなることを失念していた。牢獄の和泉の残留思念に『飲まれた』か」
 舞菜が涙を浮かべながら振り向くと同時にさすっていた手で抱きとめる。
 もし、テスタメント混合ワクチンの助力が無ければ自分もここではなく精神科隔離病棟の鉄格子の中だろう。
 だが奇しくもそうは成らなかった。
 元凶は自分にあるが、涙が止まるまで貸せる胸なら一つある。
 レーヴェンは無言で嗚咽する舞菜を支えていた。
「……許せない……。当事者とか部外者とかそんなの関係ない! 絶対、白服を潰す!」
 舞菜の瞳は憎しみの衝動ではなく怒りの決意だった。
「……ならば先に進むな?」
「当然です」
「よし。仕切り直しだ」
 胸の高さまで拳を掲げて、舞菜がその拳を叩く。
「行くぞ相棒」
 彼にしては意外な台詞に後押しされて、言葉と同じように大きな手で背中を押されて、舞菜は走りだした。

 施設内を疾走するレーヴェンは廊下の一角を凝視すると、地面と水平に跳躍し一つの鉄のドアをデスサイズで斬り破った。
 中では数人の白髪混じりの軍服が怯えながらレーヴェンと、追いかけてきた舞菜を見ている。
 すでにレーヴェンは彼等が何物なのか『読んで』いた。
「軍事部門の幹部、ビブロスや翼使いを兵器利用するつもりだった連中か。言っておくが――」
 言葉が終わらないうちに、パーンという乾いた音がした。
 同時にレーヴェンのデスサイズが舞菜の眼前に幕を下ろす。
 ギン!
 デスサイズから金属が弾ける音が鳴った。
「『四五口径程度では俺たちの翼は落とせない』と言おうとした」
 デスサイズを盾にして舞菜を銃弾からガードしていたのだ。
 そう認識した刹那舞菜は跳躍していた。
 お互い『頼るだけ』の状態になるのは本当に辛いときだけだ。
 三人の軍人に対して亜音速で接近し、手刀と掌底で二人を沈黙。蹴りで一人の拳銃を奪う。
 翼の力を使った神速攻撃なら舞菜でも人は気絶させられる。一人残しておいたのは言っておきたいことがあるからだ。
 その意思を理解したレーヴェンは銃を落とされた幹部の首にデスサイズをかけて拘束した。
「深夜のB級カンフー映画が役に立ったデス」
「以前の跳び蹴りはかなり痛かったぞ。さて」
 レーヴェンのデスサイズがカチャリと鳴る。
 それは無言の脅迫だ。
「軍は解体させてもらいます。もう二度とこんな組織は作らせない」
 冷たい目で舞菜が言った。そこには少なからず怒りと憎しみ、そして悲しみの色がある。
 和泉や千鳥を弄んだのはこいつらなのだ。和泉の過去は、彼には悪いが見てしまった。
 千鳥も同じように凄惨な状況にあったのは明白だ。
 憎い。だけど私たちはこいつらとは違う。
 だから先の二人は気絶させるだけだった。
 レーヴェンは男の胸ポケットに通信端末が有るのに気付き、それを取り出して通信網を全開放させた。多分、幹部クラスでも今この施設にいないという人間は何人かいるだろう。奴等にも向けてレーヴェンは言う。
「ここで宣言しておくが、今回の襲撃でこの施設は破壊する。残骸だけでも充分な証拠物件になるからな。命は取らないが、もしももう一度軍を再編しようものなら――」
 もう一度デスサイズが鳴り、幹部の首に赤い筋が伝う。
「ビブロスに食わせるデスか?」
「15番のウイルスに感染させて第二のシラサギにさせるというのはどうだ。尤も、和泉敬一は『ルシファー』に感染しても2番の治療だけで自我を取り戻せるだけの精神力をあらかじめ家業で培っていたが、貴様等はどうだか……」
 ドスッ。
 もう話すことは無いだろうとレーヴェンが端末を握力で破壊したとき、幹部の鳩尾に舞菜が蹴りを入れた。
 気絶させると、レーヴェンは空間相転移の翼を三人の幹部にかけた。和泉のところに送るのだ。彼はこいつらと法廷で裁きを受けると言っていた。こいつらを連行するのは和泉の役目でもある。
「これで白服は終わるはず……キグナスと華萌愛の所に行くデス」
「そうしよう」
 二人して廊下に出る。
 どの部屋なのかは簡単に分かった。
 異質な翼の力が二つ、一つの部屋に集まっているのを感じたからだ。
 デスサイズで扉を斬り破る必要はなかった。扉の鍵が開いていたのだ。
 互いの目配せで頷きあい、「驚くなよ」とレーヴェンが扉を開ける。
 その部屋は一言で言うなら人工の鍾乳洞のようだった。
 黒い四角錐が天井や床を埋め尽くしている。
 侵入させない罠か何かかと思ったが、殺傷力はなさそうだ。
「電磁暗室。一切の電磁波の干渉を受けないように作られた部屋だ。極度に精密な電子機器には必要な装置だ」
 レーヴェンがそう説明した。
 しかし、翼の気配はあるが翼使いの気配が無い。
 その電磁暗室に向かってレーヴェンは言葉を放った。
「変わったな。キグナス」
 言葉を向けた方向を舞菜が凝視すると、そこには鉄でできたクローゼットのような箱が二つ並んでいた。
 翼の力はそれぞれその箱から感じ取れる。
《贖罪のために》
《現実との決別のために》
 それぞれ男性と女性の声が聞こえた。
「その理由で自らの存在をテスタメント化したのか」
 この二つの箱、ネットワークサーバがキグナスであり華萌愛なのだ。
《医者の不養生では治せる患者も治せないだろう。精神の電脳化によりにより私の障害は電子的に駆除できた。その点で君のテスタメント理論は役立ったよ。だが仮初の実体を持つこともできる。我々は翼使いだからな》
 男性の声が言って、箱の一つからすぅっとウエーブのかかったブロンドの白衣の男が、まるで機械からテスタメントを落とすときのように姿を現す。
 彼がキグナスなのだ。
「たしかおまえは翼使いの持つ病を治療するために白服を利用していたはずだな。舞菜を必要としていたのは健常者であり翼使いである者のサンプルが欲しかったからだと聞いたが?」
《そうだ。軍なぞに興味は無い。ビブロスの化け物は私が実体化する理論を軍が利用しただけだ》
「ならば白服に固執する必要も無いだろう。貴様のサンプル兼クランケは俺の仲間が救出している」
 その言葉にブロンドの白衣が冷笑した。
《君ならば『トロイの木馬』の意味を知らないはずは無いな?》
「叙事詩ではないな。以前流行したコンピュータウイルスの方か」
 返答と同時に背後から迫る白刃をレーヴェンと舞菜は躱した。
「和泉!」
 叫んだのが速いか、翼の壁を展開したのが速いか
 迫り来る別の感覚に壁の力を強めて舞菜は来るべき衝撃を堪える。
 銃声が二発。舞菜の翼はそれを受け止めた。
 そしてその銃を放ったものは、千鳥だった。
 レーヴェンはデスサイズ二つで和泉の一刀と鍔迫り合いをしている。
「で、これが木馬の中身というわけか」
 問うだけで答えを待たずにレーヴェンはデスサイズをすんなりと納めた。
 同様に和泉や千鳥も「な〜んてね」と刀や銃を納め、そして舞菜の光の翼も壁を無くした。
「二人にインストールした2番が訊いて来たデス。『これをどうしたら良いですか?』って」
 2番の暴走を止めた舞菜は事実上2番の管理者にあたる。だから彼女に訊ねられたのだが、舞菜では対処方法がわからなかった。
「だから製作者の俺にお鉢が回ってきたという次第だ。キグナス、俺にウイルス駆除で勝とうなぞ十年早い。貴様の専門は予防だろう?」
 しかしキグナスの冷笑は崩れなかった。
《フッ……たしかにな。――で、君達は何を望んで私の前に現れたのだ? 今の私はただの電脳に過ぎない。患者が近くにいなければ癒すことも出来ない医者だ》
「いいえ。翼を持った電脳であり何より医師。テスタメントの応用で電脳化したなら、そのダウンロードの応用で貴方たちをその電脳から落とせます」
 舞菜が即答していた。
「レーヴェン。貴方ハードウエアもいけるクチです?」
 舞菜が子瓶を二つ取り出す。
「ハードを知らずして優秀なソフトは作れん」
「なら、行くです。和泉、華萌愛さんとはまた暫く逢えなくなります。何か言うことは?」
 舞菜はテスタメントを落とす吟唱を始めていた。
 光の翼。実際に彼女の背に生えているわけではないそれが電磁暗室を覆う。
 二人が『落とされる』のは時間の問題だろう。
――現実との決別のために――
 華萌愛は姿を見せない。
 だから和泉は一言だけ、華萌愛に訊いた。
「貴女は今、幸せですか?」
 その言葉に一言だけ返ってきた。
《まあ、それなりに、ね》

七章 羽ばたきはどこまでも

『白服事件』と呼ばれる一連の拉致監禁・人体実験事件から数年。
 施設は検察に差し押さえられて白服の復活はない。
 レーヴェンの技術で作り出した新しい電脳の中でキグナスと華萌愛は生活し、翼愛たち黒い翼使いのツテで、今は翼使いたちが翼使いの疾病を治療するために設立させた病院に招き入れられ、臨床により完璧な治療手段を模索している。
 一人でも多くの翼使いを救うことを電脳化したキグナスは演算し続けている。
 華萌愛は己の幸せのためにキグナスと共に演算している。
 二人はすでに人間ではない。
『消えた物的証拠』として処理され、法の目から外れていた。
 和泉は再びシラサギの名を必要としていた。
 彼の白服内部での殺人は超法規的に扱われ、『白服』を設立させた組織網と戦う事が贖罪の条件となった。
 これは全て国と、テロ組織を内包してしまっている他国との裏取引による結果だった。
 シラサギの名は他の組織にも通っている。名前だけでテロの抑止力になるのだ。
 今は世界規模の対テロ組織で有翼師団と呼ばれる部署の師団長として活動しているらしい。だが、彼の病状は重く、普段は病床でデスクワークと部下への指示をして過ごし、決戦兵器的に鎮圧に赴いている。
 役割的には白服在籍時代とあまり変わらない。仲間も敵も殺さないことを除けばだが。
 白服と同じように兵器利用されている彼の口癖は『白服時代の二の轍は踏まない』だと、当時の事件の戦友へ、今はもう完全にパートナーになっている千鳥が週に一度はメールを送っている。
 レーヴェンはウイルスをテスタメントに戻す渡り鳥に戻っていた。
 しかし、テスタメントに変える方法は以前とは少し違う。
 彼のパートナーが見出した新しい方法、詩吟だ。
 ある日、彼は風砂原市、舞菜の故郷に戻って来た。
 ライヴハウスを訪れたレーヴェンをマスターは別室に招く。
 部屋にずらりと並んだオーディオ機器からFmラジオのスイッチを入れた。
 このライヴハウス出身のパーソナリティの番組があるからだ。
 そのパーソナリティは――

「えー、今週のポエムはいかがだったでしょうか? 全部舞菜の自作なのデスが、感想とか頂けたら嬉しいです。さて、そろそろお時間なのでこれが最後のFAX。ラジオネーム『ホントにノイズが〜』さんから」
『舞菜さんこんばんは』
「はい、こんばんわー」
『毎週楽しく聴いています。で、質問なんですけど、番組の最後に舞菜さんがいつも言っている挨拶が、上手くヒアリングできないんですー(涙)。なんて言っているのか教えてください。あと、その言葉にはどんなメッセージが込められているのですか?』
「うぅ、『ホントにノイズが〜』さん。実はこれは舞菜のフィーリング英語なので、わざと音声さんにノイズを入れてもらって声をぼかしているんですよー。
 恥ずかしいけど、喋っているのは『You can materialize your dream, that over your the next dream too.』 です。
 貴方は夢を叶えられる。それを超えた次の夢も……って意味のつもりなんですが、実は英語が正しいのか自信無いんです……ディレクターさんが「まあ良いじゃん」って言ってくれているので使っちゃってるんです……。
 ううっ、誰か英語の先生に聞いてください〜! そして正解をこの、Fm風砂原・椋木舞菜のNOISY WINGまでお手紙かファックス、eメールで送ってください。お願いします〜!
 ……とまあ、こんなムチャなメッセージですが、これは舞菜からの精一杯のリスナーさんたちへのエールなわけなんですよ。ホントに。
 スタジオに来てくれるアーティストさんたちは本当に次々と新しい夢にチャレンジして実現させて行っています。
 私がパーソナリティに成る前からの友達もそうしてきた人がたくさんいて、私はそんな人たちに影響されて、自分の夢を追って、超えて行こうとしているんです。
 そんな友達と過ごした時間が私には素敵な経験だったんで、このラジオを聴いているリスナーさんたちにもそんな素敵な経験をしていって欲しいなぁ……なんて気持ちをこめて毎週のお別れの挨拶にしています。
『ホントにノイズが〜』さん、こんな答えで良いデスか?
 ……えーっと、そろそろお別れの時間になってしまいました。
 最後まで聴いてくれてありがとデス。Fm風砂原・椋木舞菜のNOISY WINGそろそろ御開きデス。
 来週からは大幅リニューアルでFm真東京をキーステーションに全国二九局を結んだ月曜から金曜までの二時間生放送!
 最近話題のソングライター、烏羽渡流氏とコンビを組んでお届けします!
 彼のちょっとトンチキなトークにも期待してください!
《You can materialize your dream, that over the next dream too. Good night!》

 舞菜の声に乗せられた翼、想い、『癒していく』夢――
 舞菜のエールに真夜中の星々は輝く。
 星、それは夜空に高々と掲げられた星でも、地上を照らす街の灯火でもない。
 ウイルスという汚名を着せられた、レーヴェンとキグナスの夢。
 翼のために翼を振るう和泉や千鳥たちの夢――

―― 夢が、夢を癒す ――